2011年3月5・6日

北陸の国鉄型を撮りまくり!!

 2011年3月12日ダイヤ改正を目前に控えた3月5日,ダイヤ改正で姿を消す国鉄型を撮り収めるべく,一路富山へ向かうことを決心した。今回もまた,友人のI君と2人行動による撮影となる。

(※一部動画からのキャプチャー画像やケータイ写真を使用しています。)

1日目

 朝9頃に起床,10時過ぎに家を出て11時前には京都駅に着く。ここでしばしI君の合流を待つ。

京都到着時に偶然にも撮れた「こうのとり」「きのさき」用287系電車。

この車両も今回のダイヤ改正でのデビューが決まっている車両だ。

京都駅中央改札口の電光掲示板。

若干明るい感がするが,「雷鳥」87号の文字が見て取れる。

友人に合う直前に撮影した「きのさき」1号。

ダイヤ改正で「たんば」が廃止される事に伴い,この「きのさき」1号は「きのさき」3号に繰り下げとなる。

 11時30分頃,I君がやっと合流。0番乗り場で「オーシャンアロー」8号の回送を横目に,「雷鳥」87号の到着を待つ。既にホームには鉄オタのみならず,親子連れもコンデジ片手に待っていた。

いよいよやって来た往路の本命「雷鳥」87号。

ホームにいたカメラマンたちは一斉の撮影を開始した。

今日の編成はA03編成だった。

出発前日に取った「雷鳥」87号の指定席券。

金沢寄りの先頭9号車の席を取ることにした。

11時40分,多くのファンに見送られ,京都を出発。

ブレ気味だが,形式のプレートをゲット。

車内で検札し始める車掌。

「雷鳥」廃止が近いだけに,乗客と会話を交えるなど,見るからに楽しそうだった。

上手く撮れなかったが,琵琶湖。

窓際とはいえ,欲を言えばこちら側の席を撮りたかったのだが……。

その代わりにこのような風景を取ることに成功。

前日に雪が降ったため,良い感じで比良山系に雪が積もっていた。

先頭車の洗面所にあるくず物入れ。

このような何気ない設備にも,国鉄型であれば味が感じられるものだ。

9号車デッキから客室の扉を撮影。

廃止直前ということもあり,この日の「雷鳥」87号は盛況だった。

デッキにあったくず物入れ。

押し蓋式以外にも,自分で上の蓋をあけるものもある。

友人と座った座席の座席番号。

I君は通路側を取った。

先頭クハ481-701に搭載されているシート。

フリーストップ式のリクライニングシートに換装済みである。

もう一種類普通車にあるシートには,このようなセミハイデッカータイプも存在する。

こちらのタイプを搭載した車両は「スーパー雷鳥」の改造車にあったもので,「しらさぎ」運用の後「雷鳥」編成に組み込まれた。

A03編成のグリーン車,クロ481-2003。

「スーパー雷鳥」から「しらさぎ」を経て,国鉄色となってこの「雷鳥」の運用についている。

クロ481-2003の内部。

廃止間際なのか,普段よりも乗車率は良かった。

敦賀を過ぎて北陸本線に入ると,北陸平野が見え,雪景色も堪能できるように。

晴れていたこともあり,まぶしい雪景色だったのを覚えている。

小松駅に到着。終点金沢まで,あともう一息。

金沢到着前には,この日の臨時「雷鳥」のお別れ放送も行われ,残った定期「雷鳥」の利用を呼び掛けた。

I君は金沢到着前に「鉄道唱歌」を録音しようと必死になっていた。

14時2分,「雷鳥」87号は終点の金沢に到着。

金沢駅にも多くの鉄オタが到着を待っていた。

金沢駅のホームにはこのような撮影スポット表示がされている。

最近の罵声大会などを受けての設置であろう。

「雷鳥」87号の運用を終えて,回送列車として車庫に引き上げるA03編成。

次にお目にかかれるのはいつなのか……?

  A03編成の撮影後,ちょっと遅い昼飯にするため,駅のホームにある立ち食い麺屋「白山そば」に向かう。

自分が注文したチャーシュー麺。 

ちなみに昼飯が遅れたのは,敦賀あたりで車内販売で弁当を買って食べるはずが,既に売り切れになってしまっていたからだ。

自分は用心して京都で事前におにぎりを買っていたが,I君はじゃがりことトッポしか手に入れられなかった。

食事中に店のおばあさんと会話を弾ませたことは,今でも忘れられない。

七尾線に使用されている415系電車。

JR西日本の単色化によるコスト削減で,輪島塗をイメージしたワインレッドをまとっている。

金沢駅の改札口。

全国的に自動改札が多数を占める中,有人改札を中心とした数少ない駅である。

普通列車の待ち時間に撮影した521系。

今回のダイヤ改正で多数導入される見込みである。

 昼飯も終え,ここからは普通列車で富山へと向かうことに。北陸本線の普通列車にも国鉄型が根強く残っており,今回のダイヤ改正でなくなる「雷鳥」と共に非常に人気が高い。

富山までは国鉄時代の置き土産419系の世話になる。

往年の寝台特急型電車583系からの改造車両である。「食パン」の愛称で親しまれている。

網棚越しに格納されている寝台。

583系時代にはこれが幾度となく開け閉めされていたが,改造されてからは使われなくなった。

今ではなかなかお目にかかれない栓抜き。

ましてや今時ビール瓶をもって旅行する人さえいないだろう。

性懲りもなく押し蓋式のくず物入れを(笑)。

金沢を出てしばし立山連山を眺めながら旅を続ける。

I君は途中小杉駅到着時に「ヒーハー!」と絶叫(笑)。

15時58分,金沢から約1時間で富山に到着。

富山到着後に撮った金ツルの表記。

富山到着後は,この日のメインであるキハ58系による888Dまで時間があるので,しばらく駅構内をぶらぶらする。

「ありがとうキハ58」の大きな看板が,ダイヤ改正が近いことを感じさせる。

419系車内で撮影した2枚の表示。

左は583系落成時のもの,右は国鉄時代末期に改造された時のもので,この車両が583系からの改造車両であることを物語っている。

運転台を撮ってみる。

コスト削減のために,中間車に運転台ブロックを取り付けることで製造された。運転席には梯子もあった。

16時31分,「トワイライトEXP」が到着。

この後681系初期型による「はくたか」19号が来たが,I君はカラスの鳴き声にマジギレしながら撮影していた。

北陸本線で419系や475系と共に活躍している413系電車。

こちらも元々急行型だった475系からの改造車である。国鉄の経営難の影響で,あまり多くは投入されていない。 

17時10分発の名古屋行き特急「ひだ」20号。

89年の登場から衰え知らずの活躍を見せている。

この日の編成は岐阜方面よりキハ85-1108,キハ84-303,キロ85-5だった。

高山本線の主力車両の一つ,キハ120系。

猪谷以南の東海地区ではキハ40系などが活躍し,猪谷以北のJR西日本エリアはキハ120が受け持つ。

上写真反対側の前面。

赤と緑の組み合わせを採用している。

485系上沼垂色の特急「北越」7号。

こちらも「雷鳥」と共に同じ485系の定期運用であるため,人気はそこそこ高かった。

上沼垂色の485系とは中学2年の時以来9年ぶりである。

午後5時過ぎ,良いタイミングで腹が減り始め,晩飯はホームの「立山そば」に決定。

天ぷらそばは人気が高かったのか,既に売り切れてしまっていたので,きつねそばの大盛りを注文。

夕方6時過ぎに,今回の旅のメインステージとなる2番乗り場に移動。

今夜出発するキハ58系888Dの姿を求めて,既に多くの鉄オタ達が集結していた。

888Dの入線直前に撮れた583系顔の419系。

 そして18時33分,この日のメインイベントが幕を開ける……。

構内アナウンス以外,何の前触れもなく,老兵キハ58はその姿を現した。

ホームに停車するとともに,全員が一斉に撮影会を開始した。

エンジンを2台搭載しているのがキハ58。

落成当時は非冷房だった。

エンジンとサービス用電源を1台ずつ搭載しているのがキハ28。

冷房も使えて,なお且つ多彩な線区を走行できるようにするため,キハ58とキハ28は常にコンビで編成されている。

日本国有鉄道による刻印。

この車両の息の長さを物語っている。

車体には錆や色ハゲなど,痛みが各所に見受けられる。

皮肉にもこれらの傷が,先に紹介した刻印と共に車両の息の長さを物語る結果となっている。

キハ58側面にある表記。

富山の運転所に所属している証である。

キハ58系のシンボルともいえる,DMH17Hエンジン。

独特のカラカラ音に魅了された人は多いはず。しかし,それも今回のダイヤ改正で聴き納めとなる。

3番乗り場からのカット。

富山地域鉄道部の計らいにより,「ありがとう〜」のヘッドマークが添えられている。

ちなみに窓際の栓抜き使いたさに,瓶ビールを6本も持ってきている人もいた(笑)。

キハ58のスカート。

複線用ではなく単線用のタイプを装着している。

 19時1分,888Dはエンジン音も軽やかに多くのファンたちを乗せて出発して行った。撮影時の一瞬の譲り合いと気遣いが,この盛大な撮影会を気持ちよくフィナーレに導いたと言える。

 撮影後は駅前にあるホテルに向かい,チェックインする。荷ほどきの後は駅前のハートインに朝飯の買い出しに向かう。コンビニの中にも「さようなら雷鳥」グッズが勢ぞろいしていて,ダイヤ改正が近いことを実感させた。ホテルで風呂を済ませた後は,I君と夜食&テレビ。ここでケータイ大喜利を初めて知る。更にI君にケータイからアンサイクロペディアを見せた時に,そのアンサイクロペディアも実は阪急をウ○コ呼ばわりしているという事実を知ってしまい,I君は愕然となってしまう。夜の0時45分頃に就寝。

 

2日目

 朝の8時半頃に起床。隣のI君の部屋で朝飯にする。この日の朝のニュースはジャンボ機引退特集で,I君自身も残念がっていた。10時頃にチェックアウト,ビデオカメラの電池残量があまりないことが気になるため,午前中は富山駅の駅前をぶらぶらすることに。この時富山駅で帰りの特急「雷鳥」94号の指定席を取ることに成功する。インバーター好きのI君は手始めに富山ライトレールを撮ろうと提案。一緒に富山駅北口に向かうことに。

富山ライトレール。

ライトレールという交通手段はフランスが初めて導入し,交通渋滞を緩和させることに成功した。

個々富山でも高齢者に重宝がられているだけに,日本でももっと積極的に導入してほしいところ。

ライトレールの後は富山地鉄の改札口へと向かう。

ホームの端に所狭しと並べられたヘッドマークを発見。

次々に到着する富山地鉄の列車たち。

富山地鉄の写真を撮るのも,実に中1の時以来10年ぶりであった。

昼飯は富山駅前にある「8番ラーメン」でラーメンとチャーハンのセットを注文。

臨時改札口にあったヘッドマークのレプリカ。思わずI君も「ひゃ〜!」。

 臨時改札口から駅に入り,I君と金沢へ移動するタイミングを考えながら,しばし構内をぶらぶらする。行きは419系に乗ったので,今度は475系に乗りたくなってくる。475系はいつやってくるか分からないので,乗るタイミングが難しいと思えてくる。

思い切って2時台の普通列車に乗り,金沢で晩飯調達する計画に変更。

早めに475系に乗ることにした。

停車中に撮った475系の車内。

大宮の博物館のものと同様,セミクロスシートになっている。

クロスシートで富山や糸魚川まで4時間近く揺られてきた昔の旅人の苦労がしのばれる。

急行型電車特有の構造をしたデッキ。

運転台もほぼかぶりつきで見る事が出来る。

413系との並び。

デカ目の方が俄然存在感が大きい。

475系撮影の合間に撮ったキヤ141。

いきなりの入線でちょっとビックリ(笑)。

クハ455-61の形式プレートもゲット。

455系や475系は70年代に本州と九州で急行として活躍してきたが,急行削減が加速する80年代には普通列車の運用につき,細々と現在に至っている。

 国鉄時代の旅情に思いをはせて1時間,午後3時頃,無事に金沢に到着。ちなみにI君は高岡から石動あたりまで爆睡していた。

買い出しの合間に415系800番台を撮影。

交流機器は485系からの流用だ。

金沢駅の急行「きたぐに」の電光掲示板。

北陸地方では寝台車も指定席として表示することがある。

電光掲示板にいよいよ「雷鳥」94号の案内が出始める。

ここから出発前の緊張感を味わう人も少なくない。

待ち時間の間に撮った「北越」7号。先頭はクハ481-1508。

ただ,この車両も少しばかり色ハゲが見受けられる。

待ち時間に運良く485系3000番台の撮影に成功。

こちらも「北越」「いなほ」で活躍している。一時期「はくたか」の運用についていたこともあった。

 そして17時頃,いよいよ帰りの本命特急「雷鳥」94号の入線時刻が迫って来た。今回の旅の最後は,やはり国鉄型で締めくくられることに……。

485系の臨時「雷鳥」としてはこの列車がラストランとなる。

しかも何と行きに乗って来たA03編成だった。

「雷鳥」94号は多くのファンに見送られ,金沢を旅立つ。

朝に運良く取れた「雷鳥」94号の指定席券。

晩飯は富山の名物「ますのすし」!

友人も買って食べていた。

帰りに乗車したモハ485-501。

セミハイデッカータイプの車両だ。

臨時「雷鳥」としてもこれがラストランなのに,車内は閑散としていた。

特に自由席は意外にもスカスカの状態(汗)。I君は敦賀のデッドセクションまで本日2度目の爆睡(笑)。

北陸トンネルで「サンダーバード」31号と一瞬の出会い。

敦賀ではA06編成による「雷鳥」33号と交換。

19時38分,「雷鳥」94号は終点の京都に到着。

この後帰りの列車に乗るためI君と別れる。

 今回の旅行は,最初から最後まで国鉄型に乗り放題という,実に収穫の多いものとなった。このダイヤ改正で多くの国鉄型が姿を消すため,その最後の姿を見届ける事が出来,本当に嬉しかった。

 長文お読みいただき,ありがとうございました!

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