2009年3月3日〜4日

富士はやぶさ撮影日記

 09年3月,かねてから廃止が報じられていた寝台特急「富士・はやぶさ」を撮影すべく,東京へと旅立った。

 予算の関係上,仕事に向かう親父と共に夜行バスで車中泊することになった。初めての夜行バスだったが,まあしかし寝にくいものだった。3日午前4時に海老名SAに着いた時はまだ気分は良かったが,その後池袋に着いたあとがヤバかった。とにかくしんどい。到着後は親父と共に駅前のサウナで休憩し,その後親父と別れてロケを敢行した。

午前9時58分,「富士・はやぶさ」が東京に到着。東京駅の10番乗り場はたちまち撮り鉄で埋め尽くされた。写真はスハネフ14同士の連結面。
機回しの合間にこんな渋い方向幕を出してくれた。JR側の粋な計らいに感謝!!
 一昔前は当たり前だった西鹿児島行きの方向幕。この他,「あさかぜ/宮崎行き(謎)」や「あかつき/新大阪行き」も出ていた。
 オロネ14-3001。「富士・はやぶさ」にはA寝台とソロがそれぞれ必ず連結されている。
 分かりにくいかもしれないが,ヘッドマークが見てとれる。この日のカマはEF66-49だった。
 廃止間際とだけあって,ご覧の人だかりである。最終日は3000人近く来たそうだが。
 午前中のロケのあとは昼飯とケータイの充電のため,秋葉原へ。そのあと西日暮里で山手線と京浜東北線の並びを取った後,上野へ。ここで活躍している高崎線の211系は,首都圏を走る車両の中でも特に貴重である。

写真は貴重なグリーン車。

 しばらくするとまた211系が入ってきた。かなり貴重な並びになった。

高崎線の211系は,10両と3両の間にグリーン車を2両挟むという組み合わせである。

 211系の撮影終了後,上野の13番乗り場へ。その昔,ここを数多くの寝台特急・急行などが行き来していた。集団就職の時代を思い出す人も少なくはないはず。

カシオペアの編成は,実は全国に1編成しか存在しないという。製造コストの問題もあるのだろう。トワイライトEXP同様,最後尾にスイートルームをつけるというパターン。

 カシオペアの撮影の後,田町で「富士・はやぶさ」の回送を撮って再び東京駅へ。ここで機回しなどを撮った後,新橋駅で通過シーンを撮った。新橋では明らかに鉄道を知らなさそうなサラリーマンやOLがデジカメを構えていた。
 新橋からまたもや上野へ。お次は「ホームライナー鴻巣3号」だ。これは急行「能登」の間合い運用で運転されている。
 印象的なサイドビューも,ボンネット車ならでは。オレは完璧に圧倒されてしまっていた。
 寝台特急「北斗星」。カマはEF81-88。ちなみにこの撮影の時,旅番組の収録で何とペナルティーのワッキーが来ていたのだ!!

ワッキーは周りに群がっているオレ達にお辞儀しながら食堂車のすぐ後ろに乗り込んで行った。

 親父と待ち合わせて晩飯を食い,ホテルにチェックインした後,再び上野駅の13番乗り場へ。

この「あけぼの」以外にも,「鳥海」「出羽」「男鹿」など,秋田方面の列車は多かった。ちなみに,この「あけぼの」が20系客車最後の定期特急となった。

 「あけぼの」撮影後,一旦ホテルに戻って休憩し,再び上野へ。

23:03発,寝台特急「北陸」である。EF64との対面は中2の時の家族旅行以来となる。この列車には大きく「Shower(シャワー利用可)」というロゴのついた車両もある。

 そして「北陸」の後に来るのが,この急行「能登」である。本日二度目のボンネット撮影である。

おまけにこの時,「ホームライナー」のヘッドマークを外して「能登」のヘッドマークが登場する場面が撮影(ビデオ)できた。30年ほど前には当たり前の光景を見てしまったために,オレは当時の活気に思いを馳せずにはいられなかった。

 今となってはやたら目立つ「急行」のサボ。

急行「能登」には自由席も多い。何故なら,終電の役割も果たしているからだ(「旅と鉄道 - 99年秋の号」より)。

 

 急行「能登」撮影後,ホテルに戻る。夜0時過ぎに就寝。

 ロケ2日目,朝8時に心地よく起きる事が出来た。先に起きた親父と別れ,朝食とチェックアウトを済ませた後,早速上野駅へ向かう。

 上野駅到着後,早速北斗星がやってきた。どうも最近はカシオペア釜が牽引する事が多くなっているらしい。
 北斗星撮影後,東京駅へ。例によってまたとんでもない人だかりに遭遇する。昨日に続き機回し撮影を行う。そしてまた回送を撮るべく新橋に直行した。
 新橋駅にて,211系。注目すべきは,前面方向幕がLEDではなくロール式であるということ。この後に209系京浜東北線の並びと「富士・はやぶさ」の回送を撮り,大宮の鉄道博物館に向かう。

 上野駅で偶然見かけた200系の原色。最初はこっちに乗ろうと思ったが,後から来たMAX&つばさに乗ることにした。

 余談だが,Judas PriestやMegadethを聴きだしたのもこの時のことで,曲を聴くと必ず行きの新幹線でのひと時を思い出す。

 MAX&つばさ,大宮にて。前述の「北陸」のEF64同様,MAXとは中2の時の家族旅行以来7年ぶりの再会だった。
 昼12時前頃に鉄道博物館に到着。ゲートの横にはデゴイチの前面部分が飾られていた。
 館内中央部の転車台にはC57-135が堂々とした佇まいで展示されている。この転車台は12時になると回転する。

写真の135号機は,室蘭本線で運転されたSLさよなら列車を牽引したものだ。

 EF58-89。ヘッドマークは「はやぶさ」。写真にはないが,ゲート付近に展示されているマイテ39のヘッドマークは「富士」だった。何だか今回のロケとかぶってるようだった(それとも意図的に?)。
 奥クモハ455のトップナンバー,手前クハ181。ともに東北・上越エリアを駆け巡った名車両である。
 クハ481-26。以前訓練車として見かけた人も多いはず。0番台には通常ライト下の通気口が3つずつあるが,こちらは2つしかない唯一のタイプ。
 栄光のJNRマーク。国鉄当時の特急型には必ずついていたものだ。JRになってからも少しは残ってはいたのだが,すぐに消滅した。確か平成元年(89年)まで残っていたと思うのだが。
 クモハ455の車内。完全クロスシート統一ではなくセミクロスなのがイタイところ。それでも雰囲気だけはじっくり楽しめた。
 サボは何と「まつしま」だった。かなり懐かしい。ご当地JR東日本らしい発想だった。
 クハ481-26の座席。当時の特急用クロスシートはこのスタイルがスタンダードであった。
 ナハネフ22のトップナンバー。ヘッドマークは「あさかぜ」であった。この時は何と幼稚園の団体が来ており,その事を知り合いに話したら「そいつら贅沢だな〜!!」と言われた。
 ナハネフ22のベッド。こちらは車内には入れず,外から観賞する形になっている。寝る際にはベッドから落ちはしないかと不安に思う人は多かったはず。それぐらいベッド幅が狭いのが特徴だ。
 C51-5。かつて特急「つぱめ」やお召し列車を牽引した事で知られている機関車である。
 昼飯はコレ,駅食堂のパスタである。飯食ってる最中には外で211系のトップナンバー編成が試運転していた。
 何故か屋外展示のキハ11-25。この顔もローカルエリアでは馴染み深いものだった。

 

鉄道博物館で散々楽しんだ後,東京に戻る。以下,YouTubeにうpした動画のキャプチャー画像を載せることにする。

←午後5時過ぎに「富士・はやぶさ」回送列車が入線。例によって10番乗り場はパニック状態となった。ここでも方向幕などを撮影し,機回し撮影に回る。

機関車が通過する9番乗り場も撮り鉄であふれかえっており,オレはあえてホームの内側からとらえるシーン作りにした。

午後5時45分,機関車が連結され,客が乗り始める。俺はかろうじて機回しで手薄になったホーム先端部へ移動し,ビデオカメラを構えた。
そして午後6時3分,その時はやって来た。カマのEF66の46号機がブレーキを解除すると同時に,甲高い汽笛を鳴らす。「富士・はやぶさ」旅立ちの瞬間である。
「富士・はやぶさ」はゆっくりと,徐々に加速し,流れるように夕闇に消えて行く。オレは名列車の最後の姿を記憶に焼き付けるのが幸せだった。ただただビデオカメラを手にじっくり撮っていくだけだった。

 そして「富士・はやぶさ」が去り,日暮里で「ホームライナー鴻巣3号」とフレッシュひたち,北斗星を撮影して,ロケは終焉を迎え,親父と共に帰路についたのだった。

「富士・はやぶさ」,ありがとう,そしてさようなら・・・・・・。

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