第6章 エピローグ

 かくして国鉄の労使の過酷な闘争は,労働者側の完全勝利に終わった。利益優先主義を徹底して貫く者たちはほぼ大半が死に絶え,労働者たちによって新たなる指導者が擁立された。労働者の反乱がきっかけで,藤原虎賢内閣はその責任を問われる形で総辞職し,その次の総理大臣が組閣した直後に国鉄は民営化され,JRとして7社(北海道,東日本,東海,西日本,四国,九州,貨物)に分かれて生まれ変わったのである。新内閣が民営化に踏み切ってからは,JR各社は利用客を獲得すべく,車両の置き換えやサービス向上によるイメージアップに専念し始めた。刃月によって強硬に守られ続けてきた旧型車両は次々と姿を消したが,岸川や佳武といった数少ない穏健派とうまく協議して,一部の車両がイベント用及び団体用に転用することで生き残ることになった。経営体質の改善や車両の運用の効率向上などの徹底した努力により,JRは国鉄時代に比べて利用客を極端に呼び戻すことに成功したのである。また,エコロジーブームによる航空運輸や自動車の衰退,そして新内閣による徹底した鉄道への政策も相俟って,JRは急速に懐を潤し,成長していった。さらに,これまで長距離主体で複雑だった特急・急行の運輸形態を分割,簡略化することにより,利用者により一層利用しやすい運輸形態になった。

 JR北海道,冬の昼下がりの札幌駅。スハ45などをはじめとする旧型客車は既になく,通勤列車は道内専用の721系や731系電車などに置き換えられた。7番乗り場のホームの端に,若き撮り鉄たちが集結していた。彼らが集まった理由はただ一つ。この日はJR北海道によって華麗に復活したキハ80系の特急に絵入りのヘッドマークが取り入れられ,その勇姿をとらえるためである。

「7番乗り場ご注意下さい。網走行き『おおとり』が到着いたします。写真撮影のお客様は黄色い線の内側にお下がり下さい。」

 駅員の案内放送と共に,キハ80系の特急「おおとり」が,初めて付けられた絵入りのヘッドマークも誇らしげに7番乗り場に入線してきた。列車は食堂車込みの10両編成。DMH17Hの唸りは,駆けつけたファンたちを興奮のるつぼに引き込んだ。

 列車はここで方向転換のため,10分ほど停車する。その間に乗客たちは座席を回転させ,旭川・網走方面を目指す新しい利用客が乗り込んでいく。ホームには鉄道ファンのみならず,親子連れの姿も少なくない。

「お父さん,これカッコいい!」

「そうだな,すごい音だねぇ。」

 そういった会話も聞こえてきてなかなか微笑ましい。

「7番線から,網走行き特急『おおとり』が発車いたします。間もなく,ドアが閉まりますから,ご注意下さい。」

 場内アナウンスと共に,JR北海道の3打点チャイムが鳴る。

「網走行き特急『おおとり』号,間もなく発車いたしまーす!ドアが閉まりまーす,ご注意下さーい!!」

 駅員がメガホンでホームにいる客たちに呼びかける。鉄道ファンたちは一斉にカメラを構え始めた。

「お見送りの方,写真撮影の方,列車から離れて下さーい!!列車間もなく発車いたしまーす!!」

 駅員の語気がさらに強まる。そして次の瞬間,DMH17Hの唸り声があがり,鉄道ファンたちは一斉にシャッターを切り始めた。

「頑張って行って来いよー!!」

「82頑張れよー!!」

 ファンたちは一斉に声を張り上げ,家族連れは満面の笑顔で老雄に手を振った。

 車内は多くの乗客であふれかえっている。そのほとんどが,旭川まで帰る通勤客や網走まで流氷を見に行くという目的で乗っている。

 新しく生まれ変わった車内メロディー『スプリング・ボックス』が流れ,車内放送が始まる。

「本日もJR北海道をご利用いただきまして,ありがとうございます。旭川,遠軽,北見方面,網走行き特急『おおとり』です。列車は本日10両で運転しております。前から1号車,2号車の順で一番後ろが10号車です。10号車から7号車,4号車と3号車が指定席です。前2両,1号車と2号車が自由席,5号車がグリーン車,6号車は食堂車です。食堂車は只今準備中ですので,準備出来次第ご案内いたします。これから途中止まります駅と,到着時刻をご案内いたします……。」

 車内はとても和やかな雰囲気で満たされている。そして車窓には,解体待ちの10系寝台車やキハ55系気動車の姿があった。

 民営化で著しく生まれ変わったJRは,空前のエコロジーブームの波に乗る形で,全国を走る夜行バスを大幅に削減し,全国規模で夜行列車が設定された。新政府は速さ(と早さ)よりも確実性と寝心地を取ったのである。それによって最も華やいだのが,東日本地区,特に首都圏であろう。上野駅,そして東京駅は,北は札幌,南は熊本や大分を目指す夜行列車たちで大いに賑わった。増発により,上野や東京からはほぼ1時間に1本のペースで夜行列車が発着する結果となった。

 夜8時過ぎの上野駅,優等列車が行き来する中央改札側のホーム。このホームからは主に,高崎本線の普通・快速列車,そして東北・北海道・北陸方面の寝台列車が数多く行き来している。

 上野駅の13番乗り場から17番乗り場は,寝台特急「あけぼの」「北陸」や急行「能登」「十和田」といった夜行列車を待つ利用客たちで大いに賑わっていた。そしてその中に混じって,ある4人の親子連れの姿があった。この4人は大阪からの急行「銀河」で京都を発ち,首都圏やその郊外の鉄道スポットを存分にめぐり,そしてこの夜発車する寝台急行「越前」で福井へ行き,そして福井から北陸本線の特急で京都へ帰るという,優等列車乗り放題の壮大なコースをたどるのだ。

 20時30分,13番乗り場からゆっくりと去って行く24系寝台車の青森行き寝台特急「あけぼの」に向かって,1人の少年がホームエンドからしきりに手を振っていた。

「やっぱロクゴの『あけぼの』もカッコええなあ〜!!」

 年齢は小学生ほどで,どうやら年のわりには知識があるようだ。少年が感激に浸っていると,

「早よ来なさい!あとちょっとで出発やで!」

「はーい。」

 祖母が少年をせかす。そして両親はその傍らで微笑んでいる。少年は祖母の方へ駆け寄って行った。

 4人は15番乗り場に停車中の夜行急行「越前」の方に向かった。本来この一家は都内で一泊してから新幹線と特急を乗り継いで京都まで帰るはずだったが,この少年の熱い希望により,急行「越前」で一夜を明かして乗り継いで帰るというパターンに変えることとなった。というのも,この少年はこの列車の牽引機であるEF62や,この列車が経由する碓氷峠でのみ活躍するEF63が大好きだからだ。碓氷峠を越えながら一夜を明かすのが,この少年のかねてからの願いであった。ちなみにこの急行「越前」が,首都圏を行き来する10系寝台車最後の定期運用である。次回のダイヤ改正からは,余剰となった20系寝台車のナロネ21をB寝台に格下げしたうえで14系座席車と併結するという新たな組み合わせに生まれ変わる。

 15番乗り場に停車中の急行「越前」。43系旧型座席車と10系寝台車が,真新しく生まれ変わった構内で異様なオーラを放っていた。その中で同時に牽引機のEF62も負けじと存在感をアピールしている。

「うおお〜,これが10系寝台車か……。」

 少年は初めて乗る10系寝台車に圧倒されている。10系寝台車の,その濃紺色のボディーは異様に鈍く光っている。両親は乗車券とホーム上の吊り札をしきりに確認している。そして4人は2号車B寝台・オハネ12に乗り込んだ。

 2号車の車内は,既に何人かの乗客がベッドに乗り込んでおり,東北や東海筋のブルートレインに使われている24系客車や14系客車以上に,侘しく寂れた空気を醸し出している。当然,少年はその雰囲気に完璧に飲み込まれていた。この夜4人が利用する区画は,高崎側の車端部にほど近い,台車に近い場所であった。

 母親がまず先に寝台のカーテンを開けてみる。ベッドの生地も,くたびれた感じの青色だった。

「あたしたちここよね?」

 母が尋ねる。

「うん。こらぁ堪える旅になりそうやな……。」

 父親はその寝台のあまりのくたびれように苦笑いするのが精いっぱいだった。すると,外から発車ベルの音が聞こえてきた。少年が待ちに待った,ロクニによる夜の旅の始まりである。

「15番乗り場,急行『越前』号福井行き,間もなく発車しまーす!恐れ入りますがドアはお客様ご自身でお閉め下さーい!!」

 若い女性の駅員がアナウンスする。

 しばらくしてベルが鳴り終わり,

「15番線,ドアが閉まります。ご注意下さい。」

 女性の自動アナウンスと共にドアが閉まり,各車両横の赤いライトが一斉に消える。

ピィーーーーーッ!!!

 EF62の甲高い警笛に少年は酔いしれ,列車ははゆっくりと動き出した。20時53分,終点福井への約10時間の旅が始まった。

 首都圏から遠く離れた伊勢路の地。もうそこには全国的に見られた馴れ馴れしいギャル男の鉄道スタッフはもちろん,SLやDF50,そして旧客の姿さえもなかった。あるのは,南国の街新宮や紀伊勝浦を目指すキハ80系の特急「南紀」,キハ58系の急行「紀州」,そして鳥羽方面への急行「はまゆう」と,キハ40系と新型キハ11系普通列車であった。

 忌まわしき『雲出川の惨劇』から10年の月日が経ち,入院中に報道陣にこぼした『旧客フェチ』を流行語大賞にノミネートさせるまでに知名度を高めた市川条太は,もうすでに立派な社会人となっていた。それだけではなく,あの日病院で世話になった萩野真由子を妻に迎え,しかもすでに一男一女をもうけていた。

 4人は条太の実家がある松阪から名古屋方面へ帰る途中だった。乗車している列車はもちろん,キハ80系による紀勢本線の看板特急「南紀」である。

「『南紀』速いな〜!」

「そうやなあ,この辺は一番飛ばすからねぇ。」

 条太は愛娘いずみと楽しく会話している。

「お父さん,そろそろ例の放送の時間やないですか?」

「そうやな……。」

 真由子にそう言われて,条太は左手の腕時計を見てみる。針は既に11時を指している。

「えっ,何やの?」

 いずみの兄で長男の慶太が,隣にいる真由子の顔を見る。

「今から放送があるから,よう聞いときなさい。」

 真由子がそう言うと,間もなく聞き慣れた車内メロディーが流れだす。「アルプスの牧場」であった。

「ご案内いたします。列車はこれより,雲出川鉄橋にさしかかります。既にご承知かと思いますが,10年前の今日,ここ雲出川鉄橋付近で列車が脱線・転覆し,100人近い犠牲者を出すという,大変痛ましい事故が発生いたしました。私たちJR東海は,この忌まわしき事故を教訓に,今日までサービス改善に努力して参りました。これからも,皆さまにはより一層安全で快適なご旅行が出来ますよう,努めてまいります。これからも,JR東海をどうぞご利用下さい。」

 2度目のチャイムと共に,列車は甲高い警笛を鳴らす。条太は車窓に広がる山並みを遠望していた。

「あれから10年か……。」

 条太は今後,事故を語るための講演会を開こうかと考えている。

 もう絶対に忘れはしない。旧国鉄が最後に犯した,あの嘆かわしい大惨事のことを……。

 列車や車両は,時代と共に新たに生まれるものもあれば惜しまれて姿を消すものもある。廃止されたものの多くは,刃月が健在だった頃に人気を博した数少ない優等列車である。今回のダイヤ改正で,日本を南北に横断していた3大列車及びそれらに接続する優等列車はほとんどが系統分割・発展解消され,国内の優等列島列車網が大幅に改編された。一部例を挙げれば,東京〜九州方面では「さちかぜ」は「さくら・みずほ」に,「高千穂・桜島」は「富士・はやぶさ」に,関西発では急行「阿蘇・くにさき」が寝台特急「彗星・明星」に,「雲仙・西海」は「なは・あかつき」に生まれ変わった。

 そして今回のダイヤ改正で最も注目されたのが,急行「カシアス南丹」の廃止によるリニューアルである。長きにわたって京都から山陰方面を結んできた(京都〜城崎温泉・天橋立・出雲市)この列車は,この日をもって廃止となり,改正後は気動車特急「あさしお」と急行「丹後」に生まれ変わることとなったのである。

 ダイヤ改正をもって廃止となる最終「カシアス南丹」は,前日に出雲市を発ち,一路京都へ最後の力走を見せていた。京都着は午前8時過ぎ,その時まであとわずかである。この日の「カシアス南丹」は普段通りの14系座席車7両をDD54が牽引していた。車内は別れを惜しむ若者やベテランのファンたちであふれかえっていた。家族連れも多少混じっている。

 列車はもうすでに二条を過ぎ,終点の京都まで後わずかである。「ハイケンスのセレナーデ」が流れ始めると同時に,鉄道ファンたちは一斉にICレコーダーを車内のスピーカーに傾ける。

「御乗車お疲れさまでした。あと5分ほどで,終点京都です。お出口は左側,32番乗り場に到着します。皆様,既にご承知のことと思いますが,只今皆さまにご利用いただいておりますこの『カシアス南丹』号は,本日が最後の運転です。『カシアス南丹』号は,昭和62年4月1日に,京都〜城崎・天橋立・出雲市間の急行列車として登場しました。皆様にはご愛護いただいた列車で,多くの方にご利用いただき,本当にありがとうございました。本日からは特急・急行列車増発に伴いまして,特急『あさしお』,急行『丹後』として生まれ変わります。どうぞお気軽にご利用下さい。お待たせいたしました,間もなく終点京都です。長い間,ありがとうございました。」

 再び「ハイケンスのセレナーデ」が流れ,車内は拍手喝采となった。

 所変わって京都駅山陰本線乗り場。既に多くの群衆がカメラを構え,最終列車の到着を待っていた。31番乗り場には既に,特急「あさしお」1号鳥取行きとなるキハ181系8両編成がスタンバイしている。

「間もなく,32番乗り場に,急行『カシアス南丹』20号,当駅止まりが参ります。黄色い線の内側にお下がり下さい。列車が,参ります!ご注意下さい!」

 入線メロディーと,そして聞き慣れた低めの警笛とエンジン音と共に,DD54がゆっくりとその姿を現して入線してきた。そして次の瞬間,山陰本線ホームは惜別の歓声に包まれた。

「ありがとうーーっ!!」

「お疲れ様ーーっ!!」

 人は皆,最後の旅を終えたばかりの老雄を温かく労わっていた。DD54はもはや,死の床についている老人のようである。

 それをよそ目に,ある女性車掌が1人,記念すべき初日「あさしお」1号米子行きのグリーン車4号車に乗り込んでいた。彼女の名前は,楢崎愛。彼女は今や,JR西日本京都車掌区の美人車掌として名を売り続ける身である。ここ京都出身である彼女もまた,「カシアス南丹」に愛着を抱く人物の1人であった。幼少の頃,福知山にある母の実家に行く際に,よく利用していたからである。

「もう今日で終わりか。淋しいな……。」

 笹山は少しうなだれ気味でグリーン車の車掌室に入り,窓から顔を出して前後を確認した。この日の「あさしお」1号はかねてから一般大衆の注目を浴びており,そのせいかこの日の乗車率が100%と素晴らしいものであった。今日の運転開始前日には,普段は売れないはずのグリーン券が自由席特急券とほぼ同時に完売するぐらいの勢いであるから,なおさらである。

「31番乗り場から,特急『あさしお』1号,鳥取行きが発車します。ドアが閉まります。ご注意ください。」

 男性の自動アナウンスと共に,ファンたちは再び一斉にカメラのシャッターを切り始める。

「『あさしお』1号鳥取行き発車でーす!ドアが閉まりまーす!ご注意下さい!」

 駅員が注意を喚起する。列車のドアが閉まり,赤いランプが一斉に消える。

ファアアアーーン!!

 甲高い警笛と,そしてDML30HSCエンジンが唸り声をあげるとともに,「あさしお」1号はゆっくりと動き出す。これから約4時間半,因幡路への長い旅の始まりである。群衆は無事で旅を終えてくれと祈るばかりである。

 先頭の1号車指定席の片隅に,入社数年目の若いサラリーマンの姿があった。得意先のある福知山へ行くところである。

「山陰本線の特急も変わったな……。」

 若者は流れる車窓を眺めながら呟く。ほどなくして,「アルプスの牧場」のオルゴールが車内に流れてきた。いよいよ名物車掌・楢崎による車内放送の始まりである。

「本日も,JR西日本をご利用いただきまして,ありがとうございます。特急『あさしお』1号,鳥取行きです。列車は8両で運転しております。前の8号車から6号車までが自由席,後ろ5号車から1号車が指定席です。このうち4号車はグリーン車です。止まります駅と,到着時刻をご案内いたします。次の停車は二条,8時32分の到着です……。」

 楢崎による丁寧なアナウンスに,車内は安堵のムードに包まれている。多くに人々の快楽を乗せて,キハ181系の特急「あさしお」1号は一路鳥取を目指すのであった。

 JRとして生まれ変わってから大きく変貌したのは旅客運輸だけではない。貨物運輸もまた,エコロジーブームの波に乗る形で大幅に力を伸ばし始めたのだ。民営化以前は刃月による不当なまでのモーダルシフトにより貨物輸送はトラックに移行させられ,環境汚染の一因として大きな問題となっていた。国内を走行していた数少ない貨物列車の牽引に,時代遅れな蒸気機関車や低出力のディーゼル機関車を無理に(正しくは遊び半分で)運用させたことも,れっきとした社会問題としてマスコミによく取り上げられた。

 それまで活躍していた蒸気機関車や旧式ディーゼル機関車は急速にその姿を消し,二軸貨車やタンク車は専用貨物列車としての役割に徹するようになり,幹線ではコンテナ貨車が活躍するようになった。

 場所は変わって四国は香川県,四国の玄関口宇多津にほど近い昼の讃岐府中駅。普段は人影もまばらなこの小さな駅に,最近多くの鉄道マニアたちが集結するようになった。彼らは皆,駅のホームの端や黄色い線のギリギリ外側にカメラを構えている。この日限りで,DF50と8600型蒸気機関車による「油蒸重連」の貨物列車とDE10牽引の旧型客車列車,そして気動車急行「いよ」が,高松〜松山間の電化に伴い電車化されて姿を消すからだ。

「まだかいな……。」

「汽車の貨物はスピード遅いけん,すぐには来んやろうしな。」

「すれ違ったら激Vやで,コレ!」

 集結した鉄道ファンたちは口々に言い合っていた。

 それからしばらくすると,多度津方面のカーブの彼方から二重の警笛と共に,黒くもうもうと立ち上がっている煙が見えた。ハチロクとDF50,最後の「油蒸重連」である。

 SL特有の地響きのような力強さと,DF50の唸るようなエンジン音が複雑に絡み合い,ファンたちの目の前をゆっくりながら通過して行く。そして2台のカマの後に続くのは,民営化以後姿を消しつつある二軸貨車たちだ。二軸特有の,小刻み気味なジョイント音が,先の2台のカマの後から独特のハーモニーを奏でていく。長きにわたって親しまれてきたこの組み合わせも,もはやこのダイヤ改正限りである。改正後はEF210の牽引によるコンテナ列車へと置き換えられることになる。

 貨物列車がいにしえ調べと共に通り過ぎて間もなく,今度は高松方面から6両編成のディーゼルカーがやって来た。先の貨物列車と共にダイヤ改正で電車化されることになる急行「いよ」である。民営化後の運転系統の分割から誕生し,予算本線で特急「しおかぜ」「いしづち」や急行「うわじま」と共に活躍してきた急行である。

「ありがとうーーっ!!」

「『いよ』っ,名物急行っ!!」

 ファンたちの歓声と共に,「いよ」はエンジン音も高らかに渾身の警笛と共に通過して行く。霧のような排気ガス,そしてファンたちの歓声と万雷の拍手。それらがこの日ここで起こったこと全てを物語っていた。明日から「いよ」は,キハ58系から153系急行型電車に生まれ変わることになる。

 全国で運輸形態の新旧交代がお祭り騒ぎになる中で,人知れず静かにその時を過ごす場所もある。俗に言う「秘境の地」がそうだ。そのような場所では鉄道マニアたちにどっと押し掛けられることもなく,平穏に歴史的瞬間を迎えるのである。

 ここは南国九州,熊本県の山奥にある大畑駅。全国でもトップレベルの知名度を誇るこの秘境の駅に,一本の特急列車が地を這うように入線してきた。熊本と宮崎を結ぶ特急「おおよど」である。車両はキハ80系で,通常は4両で運転されているが,この日は5両に増結されていた。「おおよど」はエンジン音を唸らせ,ゆっくりとホームに進入してきた。同じホームの反対側には,置き換えに備えて試運転中のキハ183系1000番台の4両編成が停車している。更に大畑駅の周辺には何人かの作業員がいる。実は国の命令により,JR九州は高速道路に対抗するために肥薩線の新線切り替えに踏み切ったのである。

 そんな2本の列車が止まっているホームに,あるハイカーの姿があった。男は京都から寝台特急「彗星」「明星」で宮崎に行き,そこから上りの普通列車を利用して大畑駅に降り立ったのである。

「『おおよど』もそろそろ置き換えかぁ〜。淋しいなあ……。」

 男は呟く。そうしているうちに2編成の列車は轟音を響かせそれぞれの行き先を目指して出発して行った。男はキハ80系「おおよど」の力強い後ろ姿を一眼レフに納めた。

 そして男を支配するのは,山の静寂,そして野鳥のさえずりだけである。それ以外男を支配するものは何もない。

「まあいくら退屈でも,自然を満喫するのもたまには悪くないか……。」

 男はそう言いながら,持参してきた弁当の蓋を開け,中身を口にし始めた。

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