第4章 反乱の夜明け

 忌まわしき惨劇から3ヶ月,坂野家一家は毎回恒例の行幸のため,松島を目指す列車の車中にいる。海側の座席に忠明と常葉兄妹が座り,山側の席に忠彦と妻遊里が座っている。当然,一家はグリーン車に陣取っている。

「あっはは!!今日は初めての松島海岸なんだね!!楽しみだな〜!!それにしても海はいつ見ても綺麗だね〜!!」

「お兄ちゃん!ちょっとはしゃぎ過ぎじゃないの?」

 子供のようにはしゃぐ忠明を,常葉はすぐにたしなめる。忠明は行幸となるとつい騒いでしまうのが常であった。実際,彼は脳に発達障害を持っている。

 2人が何だかんだ騒いでいるのを後目に,忠彦は新聞を読み,遊里は傍から覗き込んでいる。その新聞の見出しはこうだった。

国鉄,新型客車投入は漸進的に

 この見出しに対して,忠彦の表情は穏やかではない。

「国鉄が長く守り続けてきた伝統が今,崩れようとしているな……。」

「そうよね……。」

 遊里も心配いそうにつぶやく。

「いくら漸進的とはいえ,利用者を甘やかしてしまうことに変わりはないものね。」

「うむ・・・・・・。」

 忠彦はため息をついた。

 その脇で,1人の小学生の少女が忠彦の盃に酒を注いでいる。髪はツインテールで,ぼってりした唇に,小学生にしてはあまりに大人びた体型をした少女である。

「ほら。」

「えっ……?

 遊里がぶっきらぼうに突き出した盃を見て,少女はその円らな瞳をぱちくりさせた。

「早く注げよ,おい。」

「は,はい……。」

 遊里に冷たく促され,少女は酒を注いでいく。彼女の名前は楢崎愛。後にJR西日本京都車掌区の美人名物車掌として山陰方面の特急列車に乗務することになる。

 その頃,東京丸の内の国鉄本社では,刃月による優等列車定例会議が行われていた。これまで刃月は旧型車両存続を頑なに主張し続けてきたが,最近では側近たちがサービス低下による国鉄離れを危ぶんでいるため,仕方なく彼女は旧型車両に若干の体質保全工事を施すという事業を行う意思を示すことで安心させてきた。

 また近年では,刃月に同じく旧型車両の運用などによる現状維持を主張する強硬派(水谷正啓,畑熙中などが筆頭)と,利用者や労働者の要求に応えつつうまくわたり合おうとする穏健派(岸川陽明などが筆頭)が,今後の方針を巡って内部で上層部同士が激しく衝突している。二大抗争と言うよりも,むしろ強硬派が穏健派を一方的に弾圧しているとしか見えないのだが。

 会議室の中では,坂野を除く各支社の代表たちが怒号を浴びせあっていた。

「今この様な混沌としている時に惰眠を貪っている場合ではない!!今すぐにでも各社がサービスを向上せねば,経営難はもう明確だぞ!!」

 声の主は岸川である。

「我らはただ総裁殿の方針に従うのみ!それでこそ国鉄の未来は開けるのだ!!」

 水谷がすかさず言い返す。

「しかし現在の利益最優先主義での運営には限界があるのではないか!」

 森井佳武が岸川を援護するように言い放つ。そこへ,刃月が割り込んで来て論争を遮った。

「もういちいち同じ議論なんてしなくていいんだよ。今更方針を変えようなんてそうはいかないからね。」

 刃月は両足を円卓に乗せ,そのまま足を組んだ。

「しかし総裁殿,今後更なるサービス向上が無ければ経営破綻は必死ですぞ!!」

 佳武は必死になって訴え出る。

「ぶっちゃけ言うけどさぁ〜,利益優先してるのはアタイらが生き残るためには必要なんだよ。分かる?!」

 刃月はそう言いながら紙パックのミルクティーを口にした。

「もうそろそろ労働者や利用者の不満も鬱積してることですし,一刻も早く方針を転換した方がいいですよ!」

 岸川がそう言った瞬間,刃月はたちまち激昂した。

もう遅ぇんだよ!!たかだか時給750円のアリンコどもに,今更おめおめと引き下がれっての?!だいたいさぁ,今ここで仲間割れしちゃあ,アタイらおしまいなんだよ!!分かってんの?!

 一瞬で会議室の空気は凍りつき,居合わせた全員がこわばった表情で刃月の方を向いた。

「今の経営方針でアタイら食っていってんだから,今更変える意味ないじゃん。力合わせなきゃ生き残れないんだよ!」

 刃月はそう言って代表たちの顔を見まわした。誰もがうつむき加減だった。

「ほら,今日も何か『発表』する事があるんだろ。」

 刃月はぶっきらぼうに吐き捨てる。

「誰か言えよ!!ほら!」

 刃月は右手を円卓に叩きつけながら大声で叫んだ。

「はい……。」

 まず先に書類を手に立ち上がったのは,西日本支社代表の坂本である。

「まずは優等列車に関してですが……。急行『カシアス南丹』は現在でも乗車率を伸ばしつつあります。」

「あっそ。だから?」

「それに対して,山陰本線西部を走る急行列車は依然として乗車率が伸び悩んでいます。」

 坂本がそう言うと,刃月は組んでいた足を下ろし,右手でほおづえをついた。

「特に木次線経由の急行『ちどり』は,昨今の山陰地区のマイカー普及により乗車率が著しく低下しています。」

「つまり利用者はアタイらに『これ以上救いの手を差し伸べてやんねーぞ』と?」

「まあ,そういうことでしょうな……。」

 少しだけ坂本の言葉が濁った。

「いずれにしも,急行グリーン車の乗車率は慢性的に不振となっています。」

「ああ,そうねぇ……。」

 刃月はけだるそうにため息をついた。

「また,利益優先目的による特急増発に対する不満の声が高まっています。」

「やっぱ懲りないんだね〜,あいつらも。」

 刃月はそう言ってミルクティーを円卓に置いた。すると,今度は畑が書類を手に立ち上がった。

「坂本君の発言に捕捉しまして,3大長距離列車の経路変更および区間短縮によるスピードアップの案が,わが社の内部から持ち上がっております。」

「はい,却下。」

 刃月は冷たく即答した。当然,畑には返す言葉が無い。

「……。」

 先に発言した坂本も黙ったままだった。

「何べんも言ってるじゃん。基本方針は変えないって。あいつらに屈するのがだいたい非現実的だからさぁ。」

「しかしもうそろそろ新たなサービスを提供しなければ……。」

 岸川がそう言うや否や,刃月は突っぱねた。

「何回も同じこと言わせないでくれる?!チョー頭に来るんだけど。」

「まあそうおっしゃらずに,落ち着いて下さい。」

 佳武は何とかなだめようとする。

「落ち着いてられっかよ!!こんな非常事態にのどかな顔してられるって,お前らバッカじゃねーの?!」

「とにかく一刻も早く方針転換を……!!」

「この期に及んでアタイにまだ意見する気?」

「今の経営ももはや潮時ですぞ!!」

 そして次の瞬間,刃月はとうとう堪忍袋の緒が切れた。

あー,もういいもういい!!これ以上お前らなんかに付き合ってたらマジで時間の無駄になるじゃんか!!もういい!!今日のところはもう閉会だよっ!!

 刃月は両手で髪をくしゃくしゃにしながらドアをきつく閉めて会場から去ってしまった。当然,その場にいた代表たちは唖然としている。

「要らんことしいのだな,お前も。」

 畑は佳武に嫌味を言った。佳武はただ,書類を右手に肩を震わせ畑ににらみ返すことしかできなかった。

 その日の夜,場所は変わって大阪・難波のビルの谷間にある国鉄改革派のアジト。その一室に,藤原恭平をはじめとする改革派の精鋭たちが集まっていた。彼らは今まさに,壮大な計画を始めようとしていたのだ。

 恭平は十数名の精鋭たちを前に声を張り上げた。

「ええか,お前ら!これから実行する計画は,国鉄に変革をもたらし,それにより国鉄の新しい将来を築くためのものや!それを完遂するという自覚をしっかり持ち,国鉄の未来を切り開いていかなアカン!!」

「はい!!」

 精鋭たちは揃えて大きく返事をした。この精鋭たちは全て,国鉄から解雇された職員である。

「我々は今までに,経営陣に対して様々な要求をしてきた。しかし,それらは全て無に帰した。もはや言葉や書類では通用しなくなったということを,初めて思い知ったのである。そこで今回,我々は武力蜂起による変革を実行することになった。そうでもしなければ,国鉄は確実に崩壊する。利益を食い物にする彼らの一連の行為を,一刻も早く食い止めなアカン!!」

「はい!!」

「我々の部隊はこれから,専用列車で丸の内にある本社へ向かう。計画実行のためには夜を徹する必要があるので,心得ておくように!」

「はい!!」

「では,各部隊は指定された支社に向かうように。幸運を祈る!」

オーッ!!

 精鋭たちは武器を掲げ,出発のために一室から続々と出撃していった。恭平,そして国鉄の全利用者や職員がが望むものはただ一つ。「変革」そして「進化」である。それらを実現するための戦いの幕が今,開かれたのである。

 恭平をはじめとする国鉄改革派によって組成されたここの部隊は,各々の目的を達するべく全国各地に散って行った。この日恭平の下に集まった国鉄の職員は,およそ数万にも及んだ。もう誰も,国鉄の,いや刃月の専横に耐えることは出来ない。彼らは今,「未来を切り開くための反乱」に挑もうとしている。

 恭平が率いるおよそ1000人の本隊は,街はずれに秘密裏に用意された数十台の大型トラックに分かれて乗り込み,一路東京丸の内にある国鉄の本社を目指した。彼らが出発したのは深夜0時過ぎ,誰もが寝静まっている頃であった。数十台のトラックは息をひそめるかのように難波を発ち,浪速路を,近江路を,そして東海道をひたすら上って行った。誰もが夢見る,国鉄の新たな未来に向かって……。

 明朝6時,ここは恭平がいつしか棄てた藤原家の豪邸。その一室で,刃月はこれから何が起こるかつゆ知らずに目覚めようとしていた。

「あ〜あ,ダルっ!」

 刃月は大きく背伸びをすると,すぐさまパジャマから私服に着替え,階下にある食卓に降りて行った。これから何が起こるかも知らずに。

 刃月か食卓に着く頃には,既に朝食が用意されている。彼女の身の回りの事は全て,彼女に直属している執事たちが行っている。

「あ〜あ,今日もアリンコどもの言い分聞かなきゃなんないのか〜。マジでチョーダルいし。」

 刃月はそうぼやいて食卓につき,食パンにバターを塗って口にした。

 同じ頃,恭平の本隊は丸の内にある国鉄本社の社屋の前に到着していた。本隊はもうすでに,国鉄職員のみならず,国鉄から解雇された失業者やホームレスなどの緊急加入で人数が倍以上に膨れ上がっていた。

 本社前の道路は秘密裏に閉鎖され,隊員たちが攻撃態勢を整えられるようになっていた。全員,こわばった表情で社屋の玄関を注視している。

「いよいよこの日がやってきたか……。」

「そうですね……。」

 恭平の呟きに応えるのは井上治景。国鉄東日本支社の坂野忠彦とは遠縁にあたり,かねてより国鉄の押し進める事業に不満を持つ人物の一人である。

「この反乱の結果次第で,国鉄の命運が決まるんですな。」

「ああ。」

 恭平は応える。彼の脳裏には,今までに歩んできたいばらの道が走馬灯のようによみがえっていた。

「構え!」

 恭平の一声で,隊員たちが一斉に玄関にマシンガンを構える。

「撃て!!」

 次の瞬間,ビルの谷間に銃声が一斉にこだました。ガラスのドアは粉々に砕け散り,隊員たちは一斉に声を張り上げながら我先にと社屋に駆け込んで行く。『未来を切り開くための反乱』が今,始まったのである。

「お前は本隊を指揮しといてくれ!オレは今から私邸に行くから。」

「分かりました!」

 井上はそう答え,他の隊員と共に戦線に乗り込んで行った。一方の恭平は後ろに控える100人ほどの隊員に声を駆けた。

「お前ら,今から総裁の私邸に向かうぞ!」

「はい!!」

 隊員は恭平の言葉に応え,停めてあった中型トラックに乗り込んだ。

 本社で何が起きているのかつゆ知らず,刃月はパンを食べながらテレビのニュースを見ていた。

「常葉ッチ今日帰ってくんのか〜……。どんな土産話持って来るんだか……。」

 刃月がそう呟いた時である。

総裁様ーっ!!一大事ですぞー!!

 食卓の方に大慌てで駆け込んで来たのは森井であった。

「ま〜た騒々しいねぇ〜。朝から一体何だって言うの?!」

 森井のあまりの慌てように,刃月は早くも苛立った。

「し,職員が……,職員が……!!」

「職員が何なの?」

職員たちが反乱を起こしましたぞ!!

「……,はぁ?」

 刃月には森井の言っていることが理解できなかった。

「何て?」

「いや,ですから,職員たちが『反乱を起こした』んですぞ!!」

 森井は大声で強調した。

「だから何バカなこと言ってんの?そんなわけないっていつも言ってるじゃん!一体何回言ったら気が済むの?!」

 刃月がそう言った次の瞬間である。

"タタタタン タタタタン!!"

 玄関の方から銃声が聞こえてきた。恭平の率いる精鋭部隊が今,たどり着いたのである。

「あああ,総裁様……!!もうすぐ近くに来ておりますぞ!」

 森井がパニックに陥ったのもつかの間,武装した職員たちがドアをきつく開けて侵入してきた。その中の1人が,森井をマシンガンのグリップで殴打し,気絶させた。

 刃月は倒れた森井の方に一旦視線を移してから,武装した職員たちを睨みつけた。

「何?何なのお前ら!労働者の分際で生意気なんだよ!」

 刃月がそう罵った時である。

「ほなわしらの方からも文句言わせてもらおか。」

 という声と共に,恭平が職員たちの後ろからゆっくりと姿を現した。

 恭平は両腕を組み,刃月の前に仁王立ちになった。

「お前だったんだね……,こいつらが刃向かうように仕向けたのは……。

「まあ,それは身から出た錆っちゅうもんや。オレらみんなおどれらのしょーもない気まぐれにずっと耐え続けてきたんやぞ!」

 恭平は負けじと声を張り上げる。

「とにかくさぁ,この期に及んでアタイらのプライバシー侵害しないでくれる?チョーウザいんだけど。しかも自分が部外者なの分かって言ってんだよね?」

「ごちゃごちゃ文句言えるんも今のうちや!おどれら今までオレらに何してきたか分かっとらんやろうが!」

「何してきたかってったって,アタイらは普通の生活送ってるだけじゃん!何のいわれがあってお前らなんかに暴力受けなきゃなんないわけ?」

「おどれの普通とこちとらの普通とは大違いなんじゃ!」

 恭平は勢いよく吐き捨てた。

「とにかくさあ,今お前らにとやかく言われる筋合いはないっつーの!」

「やかましわ,ボケ!!」

 恭平の罵声と共に,職員たちは刃月にマシンガンを構えた。

「もしこれでも自覚せえへんようやったら,死んでもらうしかあれへんな。」

 恭平はコートの右ポケットからピストルを出し,刃月に向かって構えた。

「せいぜい地獄で裁きを受けるんやな!!」

 刃月はもう,頭の中が真っ白になっていた。自分たちがこれまで絶対に目を向けてこなかった『凋落』というものが今,目の前に立ちはだかっている。刃月にはもう理解できなかった。彼女は首をかすかに横に振って言った。

「お前がそんなヤツだとは思ってなかったよ……。お前らが永遠に大人しく従わなきゃ……。」

「うるさい!!」

 恭平が吐き捨てると同時に,職員たちは一斉に刃月に向かって引き金を引いた……。

第5章に続く

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