第3章 雲出川の惨劇
2009年5月19日,午前11時頃。ここは国鉄紀勢本線,三重県は松坂にほど近い雲出川橋梁である。鉄橋を名古屋方面寄りにあるカーブで,若き撮り鉄たちが撮影機材を並べている。このカーブで皆,「インペリアル・サザン」を待ち構えているのである。その撮り鉄の中に,おかっぱ頭をした若者が1人いた。名前は市川条太。21歳の大学2年生である。彼はまた,動画(つまりビデオ)を撮るだけではなく模型を走らせるのも大好きであった。
条太は腕時計を見ながら呟いた。
「『インペリアル・サザン』まだかいな〜。」
「まだ多気あたり通ってるんとちゃう?」
友人が話しかけた。
「時刻表が正しかったら,もう今頃に来るはずやねんけど・・・・・・。」
「まあ聞くところによると,遅れたり早く来たりとまちまちやからなあ。」
友人がそう言ったその時である。対岸の方から警笛がかすかに聞こえてきた。
「あ,来た!」
条太はすかさずカメラを構えた。間もなく,ファインダー越しに真紅のDF50が2両,そしてDD51による3重連が飛び込んできた。さらにその後ろには,スハ44やオハネ12をはじめとする旧型客車の長編成が続いている。
時同じくして,ここは牽引機DF50の運転席。運転手がマスコンとブレーキを握りしめ,その隣でもう一人の乗員が前方を見詰めて立っている。スピードメーターはもう100km/hを超えていた。
「前方注意!」
運転手は前方を指さし,もう一度警笛を鳴らす。
「今日も長いな〜……。」
友人は呟いた。そのもそのはず,『インペリアル・サザン』などの3大長距離列車の基本編成は20両近くあるからだ。
「来たぞ……。」
条太は呟いた。
列車は深緑のトラス橋を抜け,猛スピードでカーブに突入してきた。カーブでレールとフランジがこすれあい,尋常じゃないほどの悲鳴となってあたりにこだまする。そして列車は条太たちが待ち構える築堤に向かって来る。
列車の通過とともに,条太たちが一斉にシャッターを切る。とてつもない強さの風が条太たちにぶつかっていくその時,列車の最後尾で異変が起こった。
「えっ……?!」
条太は信じられない光景を見てしまった。何と,最後尾の客車であるナハフ11が,火花を散らしながら脱線している。そして次の瞬間,ナハフ11の連結器とブレーキホースがけたたましい音とともに引きちぎられ,きりもみ状態で条太たちに向かって突っ込んで来た……。
昼過ぎ,条太の家では母文恵が家事にいそしんでいた。母は選択して乾燥したばかりの服をたたみ,重ねているところだった。
「条太,今頃どうしてるんやろなあ……。」
文恵はそう言いながらテレビをつけた。すると,すぐに臨時ニュースの画面になった。
「たった今臨時ニュースが入って参りました。今朝11時頃,国鉄紀勢本線の高茶屋から六軒の間にある鉄橋の付近で,大規模な列車事故が発生しました。」
文恵は驚いた。
「まあ,恐ろしい……!!」
そして次の瞬間,ヘリコプターから空撮された事故現場が映し出された。脱線した最後尾のナハフ11からは火の手が上がっている。
「消防の調べによりますと,この事故で三重県松阪市在住の大学生『市川条太さん』21歳が,脱線した車両に弾き飛ばされるなどして全身を強く打ち,意識不明の重体となっています。」
文恵は一瞬耳を疑った。
「えっ?!……条太……。まさか条太……。」
まさか我が子が事故に巻き込まれたのか……。いや,そんなはずはない。文恵はそう強く信じながら,もう一度画面を注視した。
「繰り返しお伝えします。消防の調べによりますと,この事故で三重県松阪市在住の大学生『市川条太さん』21歳が,脱線した車両に弾き飛ばされ,意識不明の重体となっています。」
文恵はショックで目の前がたちまち真っ暗になった。
「条太……,何で……。何でやの……!!」
文恵はもう耐えられなかった。彼女は目に大粒の涙を浮かべ,その場に泣き崩れた。
事故現場ではレスキュー隊や消防隊,それに警察が被害者の救護に奔走していた。大破した車両はますます燃え上がり,消防隊やレスキュー隊,そして警官がひっきりなしに現場を行き来している。
「車両に取り残されている人が残ってるか,確認しろ!」
「はい!!」
「他に死者2名,これで合計4名になりました!!」
「その人を至急,病院に搬送して下さい!!」
「了解!!」
誰もが事故の処理と対応に追われている。ちなみに事故車となったナハフ11は定員80だが,この時はちょうど満席だったため,乗っていた乗客80人は,全身を何度も強打するなどして全員が即死した。
一方,事故で意識を失った条太はすぐさま,松阪市の中央総合病院に搬送された。条太のみならず,事故に遭遇した大半の人々がここに収容されている。
「患者の容体は?!」
「全身を強く打ち,現在意識不明の状態です。」
「一刻も早く治療を!!」
「はい!」
病院内では医師たちがあちこちでせわしなくやり取りしている。待合室では事故によるけが人であふれかえっていた。けが人のみならず,家族や友人を事故で亡くして涙する者も当然いた。
同じ頃,津駅では最後尾の車両を失い尻切れトンボになった「インペリアル・サザン」が一時停車している。ここで待ち構えていた鉄道マニアは,当然何かがおかしいと感づいていた。
「一体何があったんだ?」
「何で後ろだけが……?」
「最後尾だけがどこかで外れたままこっちに来たんだとか。」
「何なんソレ?」
ホームで待っている客や鉄道マニアたちは口々に言い合った。すると間もなく,駅の構内のスピーカーから案内放送が流れだした。
「特急『インペリアル・サザン』号をご利用のお客様にお知らせします。只今停車中の列車が,高茶屋〜六軒間の鉄橋付近におきまして,最後尾の車両が外れ,沿線の住民が死傷するという事故が発生しました。」
ホームにいた者たちは全員どよめいた。
「やっぱりや!!」
「乗ってた人大丈夫なんか?」
「あんなんでは助からんって……。」
さらに放送が続いた。
「そのため,現場での救助活動などにより,本日一部の列車を一旦運休しますので,ご了承下さい。」
同じ頃,丸の内にある本部では,刃月がまたいつものようにミルクティーを口にしているところだった。
「やっぱ安泰・イズ・ザ・ベスト,服従・イズ・ザ・ベスト,何よりも帝政・イズ・ザ・ベストでなくっちゃね。」
彼女は呟く。すると,森井が大慌てで総裁室に飛び込んできた。
「総裁様ーーーっ!!!」
「何なの,騒々しい。」
刃月がぶっきらぼうに吐き捨てる。
「総裁様,一大事ですぞ!!」
「……,はあ??何が?」
「我が国鉄紀勢本線高茶屋〜六軒間において,大規模な列車事故が起こりましたぞ!!」
しかし,刃月の返答が森井を更に慌てさせた。
「ふ〜ん。またアタイらから貴重な財産をだまし取ろうって手だね。」
「いやしかし,総裁様……。」
「アイツらのやることなんて,たかが知れてるからさ〜。」
「にしてもですよ,今回の事故について,きちんと遺族の方々に事情を説明しなければ,世間の非難は避けられませんぞ!」
「ちょっと待って。」
刃月は遮った。
「だからさぁ,森井。あんたいつまでそんな一般ピープルごときに媚びるわけ?」
「いや,媚びてるとかじゃなくてですよ……。」
「何回も言わせないでよ。何が『方々』なの?アタイらそういう『猿ども』のためにわざわざ『大金はたいて』列車動かしてやってんだよ?」
「いや,とにかくですよ,今回の事故に関して説明しなければ……!!」
「何も言う必要なくね?あいつら未だに自分が国鉄に反旗を翻してるっていう自覚ないって,それぐらいなら説明付くんだけど。」
森井はここで思い切って打って出た。
「私は総裁様のことを思って言ってるんです!手遅れにならないうちに,一刻も早く事故のことを説明しなければ手遅れですぞ!!」
この一言に折れてか,刃月はため息をついてボソリと呟いた。
「分かったよ,もう。しょーがないなあ……。」
こうして刃月は急遽,記者会見を行うことにした。刃月は会場入りするや否や,自分の席に踏ん反り返り,組んだ足を机の上に乗せ,後頭部で手のひらを組んだ。その後から森井が刃月の隣に座り,報道陣に対して頭を下げる。
「これより,国鉄による緊急記者会見を行います。」
森井の挨拶で,一斉にカメラのフラッシュが焚かれた。早速,報道陣から質問が飛んだ。
「今回の事故を受けて,どのような御心境でしょうか?」
すると,刃月はため息をつきながら口を開いた。
「別に何にも……。ただ,ヤツらもとうとう奥の手に打って出たねって感じ。」
「奥の手と言いますと……?」
刃月はあきれ顔でため息をついた。
「分かってないの?今までテレビでもさんざん言ってきたんだよ?」
「はあ……。」
「ほら,言ってるじゃん。ああいう猿どもは,アタイら国鉄に反旗を翻すのが『天職』だって。」
「それは,どう言うことですか?」
報道陣から質問が飛ぶや否や,刃月は足で机を蹴って一喝した。
「お前らチョームカツク!!これだから記者会見って嫌なんだよ。理解力ないんだから……。」
たちまち会場の空気が凍りついた。
時同じくして,ここは大阪・難波の街中にある国鉄民営派のアジト。国鉄に大いなる変革を求める者たちは,皆ここに集結している。彼らは皆,国鉄で過酷に労働を強いられ,以来刃月のやり方に不満を爆発させようとしている。
「とうとう始まりましたね,会長。」
ある国鉄職員が部屋に入ってきて,会長の男に声をかけた。その会長と思しき者は,部屋の隅にある薄型テレビで記者会見の様子を見ている。
「そうやな……。」
男は答えた。
「相変わらず『葉月節』には困らせられますなぁ。」
「ホンマや,もう飽きたわ。」
男はため息をついた。
「もういよいよ,『変革』の時が近づいて来ましたね。」
「せやな……。」
男は椅子から立ち上がり,テレビを消した。
「もうこいつらを殺るしか道はない。早く計画を実行せな……。」
「はい。」
「今からでも人集めようか。」
「そうですね。」
職員は男にそう言ってから部屋を出て行った。男の名は,そう,藤原恭平だった……。
惨劇から一夜明け,条太は市内の中央総合病院の病室にいた。搬送から丸一日,条太は全く意識がない状態で,生死をずっとさまよい続けていたのである。病室に朝日が差し込み,条太を照らしている。
「ん……。何や……?」
条太はどうにかして目を開こうとしている。彼はその時点で,既に気づいていた。自分は生きていると……。
「息してるやん……。何なんこれ?まさか……?!」
条太が起き上がろうとした次の瞬間である。
「うわ,痛たたたた……!!」
条太の全身を激痛が襲った。四肢はみな包帯で巻かれている。彼は四肢を全て骨折していたのだ。
「痛いなあ……。どないしよ。こんなんじゃあしばらくロケ出来ひんな……。」
すると,病室に1人の女性看護師がトレイに朝食を乗せて入ってきた。垂れ目ながら美しいスタイルを持ち合わせた,若い女性だった。
「おはようございます。」
「あ,どうも……。」
条太は軽く会釈した。
「お怪我が治るまで,私『萩野真由子』が担当いたします。よろしくお願いします。」
「こちらこそ……。」
「朝ごはんをどうぞ。」
「ありがとうございます。」
真由子がトレイをテーブルに置いた。条太は包帯を巻いたわずかに動く右手で,コーヒー牛乳のパックを取った。真由子はベッドのスイッチを押し,条太が食べやすいようにベッドを起こした。
「あの,すみません。」
「はい……?」
「そこの戸棚に僕のケータイがあると思うんですが……。」
条太はそう言って戸棚にある自分の携帯電話を指さした。
「これですね?」
「電話帳のボタンを押してずーっと右に行くと,『母携帯』ってあると思うんですが。」
真由子は携帯電話の右ボタンを長押しした。
「これですね?」
「そこに電話をかけて欲しいんです。母にどうしても,生きてるってことを言いたいので。」
「分かりました。」
真由子は『母携帯』とある画面をクリックし,本体を条太に渡した。
その頃条太の家では,文恵が1人居間で悲しみにくれたまま,うなだれていた。
「条太……,何で事故なんかに……。」
そこへ条太の父武雄が声をかけてきた。
「あれほどの大惨事やったらもう絶望的や思うで。」
武雄がため息をついたその時,文恵のズボンのポケットからバイブ音が響いて来た。文恵が携帯電話を開くと,画面にははっきりと『条太携帯』とあった。
「えっ……?!」
文恵は我が目を疑いつつも,電話に出た。
「もしもし……?」
そして次の瞬間である。
「お母ちゃん……。」
「えっ,条太?!」
「まさか……!!」
聞き覚えのある声だった。武雄も驚いて文恵の方に耳をすませた。
「オレや,条太や!」
「条太……!!」
「オレは無事や!!生きとるぞ!!」
「条太!!あんた無事やったんやね!!」
「無事でよかったー!!」
文恵の目からは涙が一気にあふれ,夫婦は喜びと安堵を手に入れた。
「ほんで今,どこにおるん?」
「市の中央総合病院や。家からやとすぐ近くやし,早よ来てくれへん?」
「うん,分かった!すぐ行くわ!」
文恵は電話を切り,武雄とともにタクシーで病院へ駆けつける事にした。
2人は病院に着き,タクシーを降りてそのまま条太のいる病室へ直行した。病室にたどり着き,文恵が勢いよくドアを開けると,そこには満身創痍でベッドに横たわる条太の姿があった。
「条太!!」
「お母ちゃん!」
文恵はすぐさま条太に抱きついたかと思うと,感極まって涙を流し出した。
「無事で何よりやったな・・・・・・。」
文恵の傍で,武雄もすすり泣きし始めていた。
「あんたあの大惨事を生き残るやなんて……。ホンマ奇跡やわ!!」
文恵は必死に涙をぬぐい去ろうとする。
「ああ。それこそホンマもうアカン思うたわ。」
「しかし条太,下手したらあの世行きやったもんなあ。」
武雄の言葉に,条太は頷いた。
「しかし条太,怖かったやろう?」
文恵が尋ねる。
「ああ。」
そして文恵は,条太にこう言った。
「なあ条太,もう撮影行くのん止めとき。今の国鉄ホンマ物騒やから。」
「何でやの?!オレらがこんな目に遭うたんは国鉄の安全管理がなってないからに決まっとんがな!」
「言うたかて,これ以上撮影なんか行ったりしたらろくなことあれへんで。」
「そうや。お母ちゃんがここまで忠告してくれてるんやから,もう止めとき。」
武雄も後から加わる。
「いや,オレらが安心して国鉄とつながるには,まず国鉄の方から変わる必要がある!!絶対そうや!!」
条太ははっきりと言った。そして条太の心には,いつしか国鉄に対する怒りや憎しみがふつふつとわき起こっていた。
「ちくしょう,国鉄……。これ以上オレらをナメとったらドえらい目に遭うからな……!!」
そしてその思いは,近い将来思わぬ形で結実するとは,彼自身思いもしていなかった。
所変わって,ここは札幌にある国鉄北海道支部。その社屋の特別食堂に,あたかも利用者や労働者たちを嘲笑うような笑い声がこだましていた。遠く離れた伊勢路の地が血と涙であふれ換えているとは知らずに,である……。
「今の国鉄はもう,栄光の道を駆け行くのみ,だな!!はっはっは……!!」
北海道支社のドン・水谷正啓が高らかに笑った。
「だよね!!所詮使い捨ての労働者なんて,人権なんぞクソ食らえって感じ。」
正啓の長男で次期社長候補の為雄が後から付け加えた。
「事あるごとに変に蛮勇を振るうのはいいけど,それがかえって寿命を縮めてるってことに全く気付いてないわよね。」
為雄の姉で令嬢の朱雀が言った。
「お父さん,北の大地に旧客ありきって最高の言葉だもんね。」
為雄は言った。
「ああ。旧客,SL,そして両運転台の気動車こそ,北海道の風情の象徴。それは北海道の鉄道そのものを体現しているのだ。」
「お父さん!SLの石炭輸送も忘れちゃ,ダ☆メ☆よ?」
朱雀はささやかに釘を刺した。
「ははは,そうだったな……。今後の国鉄の発展のためにも,石炭輸送を全面的に強化せねばならんな。」
「もちろんよ!国鉄の今後の発展のためにも,石炭は絶対必要なんだから。」
「今の国鉄はやはり蒸気機関車が輸送の主力。蒸気機関車は我らが誇る国鉄のシンボルなんだからな。」
ここで為雄が声をかける。
「そうそう,はるか南の彼方西鹿児島からここ北海道に直結する「インペリアル・シリーズ」も,我ら国鉄が誇る看板列車だよね,お父さん。」
「ああ。南北がひとつながり,これほど高貴な列車が世界のどこに存在しようか!」
「そうよ!あの列車を国鉄の汚点扱いするなんて,最近の利用者は脳味噌が腐ってるわよね!!」
朱雀が言う。
「全くだな。利用者に対しても,ちと灸をすえてやらにゃいかん。」
「まあ所詮,痴れ者死すべしってとこかな。」
為雄の一言で,特別食堂はたちまち笑い声に包まれた。
その嘲笑が,利用者と労働者の心にむごたらしく突き刺さって行く一方で,事態を憂慮する者も少しずつ出始めている。国鉄四国支社の令嬢,岸川礼打がその1人であった。彼女は刃月や戈代,そして法子とは性格が違い(と言うよりもまるで真逆で),どちらかと言えば穏健派に近い存在である。
ここは国鉄高松駅前にある国鉄四国支社の一室。礼打は一人,ケータイのメールの受信履歴を眺めている。彼女は一旦待ち受け画面に戻すと,刃月に電話をかけ始めた。
「もしもし……。」
礼打は淋しげにつぶやく。対する刃月は普段通りテンションが異様に高い。
「チョリーっす!!どうしたの,礼打?」
「あのさあ,例の事故の件だけど……。」
「うん?」
「ウチんところにも同じようなことが起きて大騒ぎにでもなったらさあ……。」
「大丈夫だって!そっちだって結構良いガード揃ってんだよね?」
「まあ,確かにそうだけど……。」
「一度土佐のアホボン軍団が騒ぎだしたらさぁ,心おきなく叩きのめせるじゃん。それで何でも丸く収まるんだから,それで良くね?」
「うん……。」
礼打は不安をぬぐいきれないのか,ただ頷いている。
「もうそいつらに遠慮は要らないんだし,それ以上ぐずぐずしてると,ヤツらに付け入られていっかんの終わりなんだからね。」
「うん……。」
「とりあえず,くよくよしてる暇は無いんだよ。ダメなものはダメって言える強気な気持ちが肝心なんだからね。」
「うん,分かった……。」
「もうくよくよしてるヒマはないんだよ。」
「うん。じゃあね。」
「バイバイ。」
礼打はケータイの電源ボタンをクリックして電話を切った。
その礼打のいる四国支社にほど近い場所にある廃屋で,若い男が2人,そして若い女が1人,この会話を盗聴していた。3人はいずれも,国鉄四国支社の職員であり,他の国鉄職員と同様,国鉄の転覆と急進的改革を狙っている。
「まだ当分礼打は大人しくしていそうだな。」
男の1人が言った。
「もし礼打が何か行動を起こしたら,こっちも蜂起しましょう。」
女が言った。彼女の名前は津川遥。この時は若干19歳で,のちにJR四国の美人車掌として名を残す者である。
「いくら穏健派寄りとは言え,いつ何時何をしでかすか分からんからな……。」
もう1人の男が言う。
「とりあえず状況を見守るしかないでしょうね。」
津川が言った。
「他の支社に蜂起する勢力が出始めたら,こっちもそれ合わせて行動を起こそうか。」
もう1人の男が言う。
「そうだな。それまでは人手集めと計画づくりに徹しよう。」
最初の男が言う。
労働者たちは今,全国各地で立ち上がろうとしていた。全ての労働者たちに共通して求めるものは,そう,「刷新」と「進歩」である。誰もが皆,強く思っていた。これらなくしては,国鉄はもう立ちいかないのだと。今現在の忌まわしき経営の長い歴史にくさびを打てば,必ず明るい未来が見えるのだと……。
刃月のみならず,多くの国鉄首脳陣が,強力なガードを備えていながらまだ労働者たちの一連の準備行動を把握していない。当然,彼ら自身がすでに死の淵に立っていることさえも知らない……。
第4章に続く