第2章 専横と死

 人々は国鉄を利用して生活しているが,その裏には過酷な労働で一日に幾千もの命が失われていることを,決して忘れてはならない。

 ここは国鉄九州支部が直接管轄する,国鉄九州支部小倉工場・車両整備部門の区画。今日も朝から労働者たちの悲鳴が聞こえる。労働者は皆,ひたすら利用者に奉仕する消耗品としか扱われていないのだ。

「何をしている!ぐずぐずするな!」

 現場監督官が労働者に怒鳴りつける

「は,はい!!」

「お前らにとって利用者様は神そのものなのだ!!分かってるな?!」

「はいっ!!」

 再び作業に打ち込むも,労働者は鞭を打たれるのであった。それを後ろ手を組みながら見まわしている男がいる。畑熙中である。彼は秘書とともに工場の視察に訪れている。

「社長。どうですか,この見事な働きぶり。これもひとえに,総裁殿のおかげですな。」

「そうだな。総裁殿のためにも,毎日きちんと仕事をこなしてもらわねばな。」

「はい。ところで社長。」

「何だね?」

「先日お話しましたお嬢様のご示威のイベントに使う車両の件ですが……。」

「ああ,その事か。専用車両の用意はすでに済んでおる。」

「全てはお嬢様のご要望通りで?」

「うむ。我が畑家専用の,特別豪華なものだ。」

「心得ております。」

 秘書は一礼した。

「お嬢様のご威光が示されるのが楽しみですね。」

「全くだな。」

 2人は苦痛に喘ぐ労働者たちを後目に,整備棟を後にした。

 所変わってここは国鉄熊本鉄道事業部車両センター。真夏の炎天下の下,整備士たちが「夢空間」車両の洗車に勤しんでいる。この「夢空間」車両は,刃月の号令のもと,3両1ユニットで大量生産され,全国に配属されている。ここ熊本の車両センターだけでも,何と5編成が配属されている。

「お嬢様のご威光だけのためにわざわざ5本も配置するなんて,今の国鉄はどうかしてるよ。」

 ある年老いた整備士が呟いた。

「いや,『インペリアル・サザン』の運用にも入るんだから,あながち意味がないわけでもなさそうだよ。」

 もう一人の若い整備士が返した。すると,

「お,おい!お嬢様がお出ましだ!!みんな跪け!!」

 と,別の整備士の声がした。その途端,その場にいた整備士たちは皆一斉に用具などを置き,跪いた。間もなく,側近に日傘を添えられた若い女性が姿を現した。ゴスロリ系のファッション,白い帽子,濃いアイシャドーとチーク,高級なハンドバッグ……。畑法子であった。

「あなたたち,私のスペシャルイベントに備えて,車両の整備ははかどってるのね?」

 令嬢らしからぬ強い語気で尋ねた。

「はっ,ぬかりなく。」

 老整備士ははっきりと答えた。

「あなたたちが日頃の整備に手を抜いてるから,あたしたちも今『ギリギリの生活』を送ってるんですからね。お分かり?!」

「は,はい!!」

 若い方が焦りつつも答えた。すると,

「ふざけるな!!」

 先程の若者の後ろの方からどなり声がした。法子がその方向に顔を向けると,そこにはもう1人,中年の整備士が立ち上がり憤慨していた。

「お前らのせいでオレたちがどんな目に遭ってるか,分かってるよな?!」

 中年は声が震えていた。すかさず,法子は冷たく吐き捨てた。

「それはこっちのセリフですよ。」

 中年はもう堪忍袋の緒が切れた。

「畑法子……,死ね!!

 中年はすかさず法子の向かって駆け出した。しかし次の瞬間,法子の後ろに付添っていた4人のガードがピストルで中年をめった撃ちにし,中年は力なく法子の足元に斃れた。

「いつも素早く動いてくれるのね,ガード。」

「はっ,恐れ入ります。」

 ガードの1人が法子に一礼する。その場にいた整備士たちは皆,恐れおののいている。法子は先程殺した中年の死体を無表情で見降ろし,その場を後にした。

 

 刃月が全てを握っている日本国有鉄道には,3つの長距離寝台特急が存在している。どれも刃月が誇りに思っている列車である。断わっておくが,以下の列車は全て1日20往復で運転されている。

 1つ目は第1章でも紹介した「インペリアル・サザン」。西鹿児島(現鹿児島中央)から日豊本線,小野田線,呉線,紀勢本線,内房線,外房線,気仙沼線,室蘭本線などを経由して根室を結んでいる。文字通り太平洋側の路線をひたすら走行している。

 2つ目は「インペリアル・ミドル」。西鹿児島から肥薩線,鹿児島本線,芸備線,播但線,福知山線,関西本線,中央本線,信越本線,東北本線など,内陸部にある路線のみを走行して網走を目指す列車である。3大長距離列車の中で唯一碓氷峠を出入りする列車である。

 そして3つ目は「インペリアル・ノーザン」。唐津から博多を経由して山陰本線,北陸本線,越後線,五能線と,ひたすら日本海側の路線を走り,小樽を経由して稚内まで運転されている。区間系統としては3つの中で一番分かりやすく,所要時間も一番短い。

 これら3大列車が運転されるに伴い,全国でそれぞれの本線を走っていた優等列車たち(「雷鳥」や「おおぞら」など)は皆刃月の気まぐれで吸収される形で廃止された。あとは3大列車が通らない区間で連絡列車が走行しているのみである。

 使用されている車両は,もちろん利用客を困らせ,失望させるものだった。列車は20両が基本編成で,寝台車と座席車,それに食堂車で編成されており,どちらかと言えば座席車の方が多く連結されている。先述したとおり,座席車は固定式クロスシートで非冷房,グリーン車のみが冷房付きでリクライニングシートを装備している。もちろんのこと料金は高く,いつも閑古鳥が鳴いている。また,寝台車の方はと言えば,軽量化に偏り,長年雨風にさらされて老朽化している10系客車が中心である。ベッド幅も狭いが,横になれるだけよほどマシであった。

 食堂車の方にもあきれさせられる。これらの食堂車営業は皆,刃月の命令によりマクドナルドやロッテリアといった大手ファーストフード店が受け持っているのである。そのため,利用者は長旅の空腹をハンバーガーやフライドポテトなどジャンクフードだけでしのがなければならなかった。ちなみに,近日のうちにサンドイッチのチェーン店「サブウェイ」の参入が予定されている。

 加えて厄介なのは,旧型客車などによる基本編成の他に,廃車体になった旧型国電や特急型電車,気動車などを無理やり寄せ集めにして編成を組むという無茶ぶりがあるということだ。当然そのような編成は車両によって見た目も内装もそれぞれ一台ずつ大きく異なり,運が悪ければクロスシートや木張りの床で就寝しなければならなくなることもある。

 

 昼12時30分頃の青森駅。前日の午前6時ちょうどに西鹿児島を発った「インペリアル・サザン」が到着する。

「青森〜,青森〜・・・・・・。」

 棒読み気味の気の抜けたアナウンスとともにドアが開き,乗客たちは腰を曲げ,血の気の引いた顔でため息をつきながら降りてきた。

「昨日の晩飯がハンバーガーじゃあ,何か物足りんよな……。」

「全くだよ。」

「あの座席でこの料金はないわ〜!!」

 乗客は誰もがぼやいている。気持ちは駅員も一緒だった。そしてそれを後ろ手で組みながらほくそ笑んで眺めている男がいる。坂野忠彦である。

「皆総裁様に対する反逆心が露骨に表れているようですな。」

 秘書が耳元で囁く。

「全くだ。もっと国民に『国鉄至上主義』を徹底的に植えつけねばな。乗る側も随分墜ちたもんよ……。」

 坂野は鼻で笑っていた。

 

 変わってここは京都府にある向日町電車区。ここでも整備士たちが,上からの雷を避けるべく懸命に車両のメンテナンスにあたっていた。その中である整備士のグループが,西日本支社長専用列車の車両を整備していた。

「手ぇ抜いたらまたお上にクビ切られるでぇ。」

「ああ,恐ろしいなぁ。」

 整備士たちは口々に言い合っていた。すると,

「お〜い。ちょっとええか,ゴルァ。」

 と,誰かが肩をゆすりながら入ってきた。黄色のTシャツにデニムのサロペット,そして金髪のショートヘア。坂本正也の娘,戈代であった。

「こ,これはこれはお嬢様。」

 全員が作業をいったん中断し,戈代に一礼した。戈代は威圧した。

「これはこれはやあれへんがな。おい,今ウチらの専用車両の車体見とったらな,車体に塗装剥離があったんじゃ!!

 整備士一同は驚いた。その中の1人が必死に訴えた。

「いや,あの……。車体は毎日ちゃんとチェックしてるはずなんですが……。」

「もうええ,とりあえず車庫に来い。」

 戈代はあごでしゃくりながら,整備たちを専用車両が収容されている車庫に連れて行った。車庫に着くと,そこには整備途中のオシ24が留置されていた。そして,戈代は車用の妻面を指さして怒鳴った。

「チェックしとったら何でこんなことになるんや!!見てみいコレ!!

 整備士はなおも必死に弁解しようとする。

「いや,これはあの……,こちらのものは前からすでにこちらに所属していまして……。それで,お嬢様の専用編成に組み込もうというお達しが……。」

「何やと,ゴルァ。オイ!!誰がこんなクソみたいな車用意せぇ言うた?

「……。」

 整備士たちは完全に委縮した。

「うちに用意する車言うたらな,それこそホンマに入ったばっかの,ピッカピカの新車やねんぞ。分かるやろ,なぁ?

「はあ……。」

「それでお前らは何や?こんな『田舎食堂』みたいなんで我慢せぇとでも言うんか?!」

「いや,いくらなんでもそんなわけでは……。」

じゃかぁしい!!今すぐこれ頼んだヤツ呼んで来いや。」

「は,はい……。」

 整備士たちは恐る恐る戈代の前から去って言った。

「お嬢様があんなようでは仕事に身が入らんな……。」

「ホンマやな……。」

 整備士たちが小声でぼやき出すと,

早よせぇよ,ヴォケ!!

 と戈代が一喝。整備士たちはそそくさに車庫を後にした。

 

 一方,国鉄への失望と不満から藤原家を抜けだした恭平は,生まれ故郷大阪に帰り着き,国鉄難波駅にほど近い,安いアパートを借りて生活をしている。彼はもう両親もなく,家も売り払い,それで得たありったけの財産を持ち込んでのむごい新生活だった。今就いている職業と言えば,近所のコンビニの管理職である。給料で足りない分はパチスロでしのいでいた。

 恭平は小さな今にただ一人座りこみ,思い出していた。高校卒業を目前に身内が相次いで病に斃れ,卒業する頃には両親をも失い,悲しみにくれての国鉄入社。そして勤務10年目にして刃月と出会い,同時に熱心な仕事ぶりを現総理虎賢に認められての結婚。そして,ついこの間の突然の別れ……。

「もう信じられんわ……。」

 恭平はそう言うのが精いっぱいだった。刃月と,父虎賢への不満を胸に,彼は淋しく酒を口にした。酒に酔えば酔うほど,刃月と虎賢の嘲笑が脳裏を駆け巡って離れない。今やこの2人が,恭平を精神的にむしばむようになってしまっていた。

「何か見るか……。」

 恭平はそう呟いてテレビをつけてみた。ちょうど夜のニュースが始まるところだった。

「次のニュースです。国鉄東日本支社は今日,利用者に対するアピールイベントの一環として,東京〜熱海間に臨時列車を走行させました。」

「やっぱ嫌味やなぁ……。」

 恭平にはもうオチが読めていた。

「イベントは国鉄東京駅で行われ,支社長の坂野忠彦氏が,まず最初にあいさつを行いました。開会式の後,坂野氏と,ご子息の忠明氏と令嬢の常葉氏が専用の列車に乗り込みました。」

 そして次の画面で,忠彦と息子の忠明,そして忠明の妹常葉が列車に乗り込む様子が映し出された。忠彦は報道陣に向かって手を振り,忠明は子供のようにはしゃぎ,常葉は終始いたずらっぽい笑顔を振りまいていた。

「坂野のアホボンたちか……。やっぱ相変わらずやな……。」

 恭平がため息をつくと,画面は忠明のインタビューの場面に変わった。

「何かマジでもぉー最高なんだよ!!こんな立派な列車に乗れるなんて!!」

 すかさず,恭平はツッコミを入れた。

「誰のおかげや思うとんねん……!!」

 続いて常葉のインタビューである。

「最近職員がさ〜,何かさ〜,反感持ってるみたいだね〜。それってウザくない?」

「お前らやろ!」

 またもや恭平はツッコミを入れると,更にぐいっと一杯ひっかけた。

 

 ある午前,刃月は総裁室の椅子にどっかりと座り,書類に目を通していた。当然,彼女の傍には森井がいる。

「へぇ〜,やっぱ地方の路線で旧客が長編成となると赤字になるってことかぁ……。」

「そうなんですよ。ですから,一刻も早く無駄をなくして,合理化を推進すべきですよ。」

「だからいつも言ってるじゃん,そんな必要ないって。」

 刃月は書類をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げた。

「いやしかし……,これ以上現状のままで行きますと,赤字は必死ですよ。そうなれば一部の車両を廃車せざるを得ませんからな。」

「だから『国鉄至上主義』を徹底するんだよ。そのために今CMバンバン作ってるじゃん。」

「しかし,それでうまく行くんですかねぇ……。」

「あんたも心配症だね〜。」

 刃月はため息をつき,机にあるテレビの方を向いた。ちょうど朝のニュースの合間のCMが始まるところであった。その最初のCMが,刃月が出演ならびにプロデュースしたものだった。

 画面は親子連れがバスに乗り込もうとする場面になっている。

「ママ,やっぱりバスだよね。」

「うん。」

 少年と母親が明るく会話を弾ませて席に着く。次の瞬間,バスの車体が星を散らしながら割れ,刃月が親子連れの後ろに姿を現した。

「そうじゃなくて〜。」

 それから刃月が数人の若い女性とともに踊りながら歌い出す。そしてこれがCMのメインテーマである。

♪やっぱ国鉄,至上主義

乗らないあんたはディスってる

長い編成何より魅力

何が何でも,乗らなきゃ大損♪

 そして刃月の両脇に戈代と法子が姿を見せ,刃月が満面の笑みで

「やっぱ国鉄出なくっちゃね!!」

 と言い,本編は締めくくられる。

 当然,森井は冷や汗をかいている。

「だってこの内容ですよ。利用者側に届くかどうか……。」

「大丈夫に決まってるじゃん。」

 刃月はもう自信満々であった。ちなみに国鉄東日本支部は,坂野忠明と常葉が出演する独自のCMを展開,利用者獲得に尽力しているが,今一つ白けてしまっているようだ。

 

 当然,恭平も自宅でこのようなCMを見ている。そればかりではない。全国各社のCMが,まるで嫌味を吹っ掛けるかのごとく全国に放映されている。前述以外にも,東海は森井佳武の娘・華子が,北海道では水谷正智の娘・朱雀が,そして四国では岸川陽明の娘礼打が出演している。

「もう嫌や……。」

 恭平には耐えられなかった。嫌味なCMが毎日放映され,彼はもうテレビをつけたくない気分になっていた。恭平はちゃぶ台の前に座り,夕刊を開いた。すると,その日の記事の下あたりに,このような広告を目にした。

『国鉄改革委員会・会長募集中!!国鉄の現状を変えられるのは,貴方です!! 連絡先はこちら→0×0-××××-××××

 その瞬間.恭平は本能的にポケットから携帯電話を取り出し,電話番号を入力し始めた。誰にも分かりはしない。この電話一本で,今,彼の運命が,いや国鉄の運命が変わろうことになろうとは……。

第3章に続く 

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