第1章 ギャル総裁

 皆さんはご存じだろうか。日本の鉄道史上,最悪なリーダーが存在していたということを。なおかつそのリーダーが,男ではなくギャルであるということを。そして何よりも,利用者のことなど屁とも思わず,政府と癒着して日々暴利をむさぼっているということを……。そう,それも,多くの利用者と労働者が苦しんでいる陰で……。

 2007年3月,ここは東京丸の内にある日本国有鉄道本部。日本国有鉄道の総裁は,何と弱冠20歳という若さの少女・藤原刃月。その風貌とくれば,おおよそ総裁と呼ぶにふさわしくない。髪は金髪に染め,化粧は濃く,服はグレーのスウェットという,何ともラフな格好だ。一日にすることと言えば,ただ勝手気ままに命令し,事あるごとに職員のクビを切り,そして遊び呆けるというものである。

「早く!この声明文をアリどもに提出しちゃいなよ!」

 ハスキーながら甲高い声が総裁室に響き渡る。彼女は国鉄の職員や労働者たちのことをアリと呼んでいる。書類は秘書の手元に収まった。

「はあ,かしこまりました・・・・・・。しかしこれを提示すると,更なる非難は避けられませんぞ。」

「いいんだよ。アリはどこにでもウヨウヨいるんだから,いつでも踏み潰して新しいヤツをかき集めてこれるジャン。」

「はあ,しかし・・・・・・。」

「あとそれからさぁ〜,全国の車両基地と工場に言っといてくれない?当分新車投入の見込みはないって。」

「はあ,かしこまりました。」

「全く,あのアリどもときたら,マジでバッカじゃねぇの?上からの命令で動きさえすればいいものを,わざわざ逆らってまで自分の命を捨てようなんてね。くっだらないよね〜。」

「・・・・・・。」

 秘書は書類を片手に,冷や汗を流して総裁室を後にした。秘書は名を森井洋造という。

 本部の外の大通りでは,大勢の国鉄の職員や労働者たちが横断幕やプラカードを掲げ,玄関前に集結していた。彼らは国鉄側による過酷な労働条件に対する怒りと不満から,このところこうした抗議活動を頻繁に行っている。集団の中には,職員のみならず一般の利用者も少なくはない。

「私たちはモノなんかじゃない!」

「国鉄は労働条件を改善せよ!」

「直ちに総裁を交代させよ!」

「新型車両を我らに!」

  要求は多かれど,人々が切望するのは「改善・革新」である。労働者たちは福利厚生を,利用者はサービス向上を望んでいた。

「静粛に!皆さんご静粛に!」

 玄関から姿を現した役員が,やや焦りつつも群衆を落ち着かせる。しばらくして,やっと叫び声は止んだ。

「総裁様が皆に新しい声明を作られた!心して聞くように。」

 役員がそう言うと,群衆はまたざわめき始めた。やがて玄関の庇部分にあるデッキから,森井が姿を現し,声明文を読み始めた。

「・・・・・・『チョリーっす!!』・・・・・・。」

 森井はたちまち冷や汗を流しだした。同時に群衆はあきれ返って何も言えなかった。『チョリーっす!』というは,刃月が視察先や講演先でよく使う,一種のギャルの挨拶である。

 「『お前ら,何回もおんなじこと言わすんじゃねーよ。これ以上クビ切られたくなきゃ何も言わず働くんだね。あと一般ピープルもさ,お前らがちゃんとアタイら国鉄を毎日欠かさず利用しさえすれば,アリどもの苦労も報われるんだけどね〜。ま,そういうことだよ。』・・・・・・。」

 次の瞬間,群衆からは怒号の嵐が巻き起こった。刃月が講演などでよく言うことは,常に人々を激怒させないはずのない,身勝手なことばかりである。

「それが総裁の言うことか!」

「直ちに交代させよ!」

「ギャルごときに何が任せられるか!」

「若造に国鉄の未来を託すようなことがあってはならない!」

 森井はたまらずデッキからそそくさと姿を消した。

 刃月には群衆の怒りの声がよく聞こえている。そのたびに彼女はぼやくのである。

「あ〜あ,これだからアリって困るんだよね〜。」

 人々の思いなどそっちのけで,自分のやりたいことだけが出来ればいい。それが刃月のやり方である。

 

 日本各地に一度目を向ければ,国鉄の荒廃ぶりがはっきりと目に飛び込んでくるはずである。地方では未だに蒸気機関車やディーゼル機関車が茶色や青の旧型客車を牽引しており,ディーゼルカーにしても出力不足な車両が大多数を占めている。当然,地方には特急や急行といった優等列車は少ない。首都圏の方も大概である。首都圏の輸送体系といえば,103系や,70系や72・73形をはじめとする旧性能電車が通勤通学の足となっているが,ダイヤの方は今一つ利用者の流れには対応しきっていない。首都圏をはじめ各地の都市を行き来する優等列車は,電車は151系や181系特急型電車,客車列車はEF15などデッキ付きの旧性能機関車による牽引が主体となっている。夜行列車に関しても,客車は軽量化だけに偏った,強度に欠ける10系寝台車と旧型客車の混合編成が主体である。貨物にいたってはこれがもう絶望的だった。刃月の気まぐれによって貨物輸送はトラックに大幅に移行されており,その結果郊外や地方ではコンテナやタンク車などの混合編成が寂しく走行する光景が見られた。

 国鉄の衰退ぶりはこれにとどまらない。国鉄はサービス面でも人々悩ませている。全国で運転されている国鉄の車両は,何と非冷房車が多数派となっているのだ。そのため利用客は,夏は酷暑に,冬は極寒に苛まれる毎日を過ごすことになるのである。加えて,優等列車の座席は固定式クロスシートで,リクライニングシートなど全く存在しない。長旅には辛い条件である。また駅には,外国人向けの外国語案内表示が全く存在しない。「郷に入っては郷に従え。日本にいるからには日本語だけ見て何とかすれば。」というのが彼女の発想である。

 刃月1人の手により,国鉄はここまで荒廃してしまったのである。

 

 午後になって,刃月は優等列車運行状況の定例報告会に赴いた。この報告会は,総裁のもとに国鉄6支部(北海道,東日本,東海,西日本,四国,九州)の社長が集まり,各エリアで運転されている優等列車の乗車率などを報告したうえで,刃月が今後の対策を指示する(正しくは刃月が気ままに身勝手な命令を出す)というものである。

 会議室の円卓に,総裁刃月と6社の社長が一堂に会した。北海道からは水谷正啓,東日本からは坂野忠彦,東海からはからは森井佳武(洋造の弟),西日本からは坂本正也,四国からは岸川陽明,九州からは畑熙中が集結した。

「じゃあこれから全国優等列車定例報告会,始めるからね。」

 6支社トップが同時に深々と頭を下げる。

「じゃあまず北海道の水谷さん。よろしく。」

「はっ。」

 水谷は書類を右手に,咳払いしながら立ち上がった。

「早速ですが,道東サークルライナー(旭川をでて富良野線,根室本線,釧網本線,石北本線を経由して再び旭川に戻る)の件でひとつ・・・・・・。」

 刃月は無表情で頷いている。

「やはり利用客からはサービス向上や新型車両への置き換えの要望が強くなっています。あと,冬は寒さ対策のため暖房も必要という声が・・・・・・。」

「ふん,思った通りだね。」

 刃月にはすぐ分かった。

「北海道らしいバカ要求だね。もう一回言っといてよ,体温調節は自分の服装だけで間に合わせろって。」

「えええ?!」

 水谷は驚いた。

「まだそんな蝦夷っ子ピープルごときに媚びるつもり?」

「いや,そんな・・・・・・。」

「あと,北海道の方もガード募集どんどんやればいいじゃん。そうでもしないと大人しくならないんだよ!」

「はい・・・・・・。しかし車両の方も,極度の雪と風による老朽化が著しく,このままではこれ以上利用者の要求に応えることは不可能です。」

「だから車両は今のままでいいって言ってるじゃん。そのおかげでお前ら『何とか』生きてこれてるんだから。」

「はあ・・・・・・。」

「ま,とりあえず車両に関しては現状キープってことで,いいね?」

「はい・・・・・・。」

 刃月は間髪入れず坂野の方を向いた。

「じゃあ次,東日本。」

「はい。」

 坂野は立ち上がり,ブリーフケースから書類を取りだした。

「早速ですが,事故の報告です。」

 全員が一斉に坂野の方を向いた。

「2月19日昼頃,『インペリアル・サザン』が東海道本線内を走行中,乗客の1人が誤って列車のドアから転落したとのことです。」

「来た,いつもの手口!」

「手口・・・・・・?」

 全員が刃月の方を向いた。

「ほら,いつも有るじゃん。何か知らないけど一般ピープルがさぁ,事故とか見せかけてアタイらから金をだまし取るんだよ。」

「詐欺ですか?」

 坂野は尋ねた。

「当たり前じゃん。たかが一般ピープルごときに屈してるようじゃ,アタイらおしまいなんだよ!」

 刃月は語気を強くして言った。

「しかし,今回の事故も本当に死亡が確認されましたし,それに遺族の方々が訴訟の準備をしていますよ。」

「何なの,遺族の『方々』って?」

 刃月は上目づかいで坂野を睨み,円卓の上で足を組んだ。

「とにかく,そんな『詐欺師』ごときに騙されてるようじゃ,トップは務まらないね。」

「はい・・・・・・。」

 坂野は頭を深く下げた。

「ま,別にそこまで心配しなくていいんだけどね。」

「えっ?」

「そこはあたいのパパが何とかしてくれるから。」

「そうですか・・・・・・。とにかくことがうまく治まればいいですね。」

「ま,安心しなよ。一般ピープルには必ず罪の報いが来るから。」

 刃月は次に佳武の方を向いた。

「じゃあ次,佳武君。よろしく。」

「はい。」

 佳武は立ち上がって紙を手に取った。

「先程坂野君が『インペリアル・サザン』について述べましたが,この列車は我が東海エリアも走行しています。そこでよくある問題なんですが,紀勢本線紀伊長島〜梅ヶ谷間の坂道(荷坂峠)で牽引機がオーバーヒートして走行不可能になる事故が多発しており,利用客から機関車の性能向上によるスピードアップの声が高まっています。」

 次の瞬間,刃月い深くため息をついた。

「北海道に負けず劣らず,東海人もなかなか欲深いんだね〜。」

 さらに佳武は続けた。

「また,同じく梅ヶ谷〜多気間のスピードアップのためにも牽引機の性能向上は必須との意見もあります。」

「まああの坂がかなりの厄介者ってのは分かるけどさぁ〜。」

 そう言って,刃月は紙パックのミルクティーを口にした。

「風景を楽しむってことの大事さが分かってないんだよね〜,三重人って。」

「楽しむのも大事ですが,やはりスピードアップも譲れないですよね。」

「有り得ねぇんだよ!」

 刃月はすぐさま吐き捨てた。

「三重人ってマジ理解に苦しむんだよな〜。完全に旧客ナメてるしさぁ〜。」

「しかし,これ以上このような事故を起こすわけにもいきませんぞ。何よりも安全に峠越えが出来る事が優先されますからな。そうなると牽引機によりいっそうのパワーが求められますし・・・・・・。」

 刃月はため息をついて言った。

「だったらしょうがないね。亀山機関区の連中に言っといてよ。エンジンと台車だけ換装するようにって。スピードとパワーに関しては絶対に妥協するなって言っといて。」

「はっ,かしこまりました。」

 佳武は深く頭を下げた。次は坂本の番だった。

「じゃあ坂本ちゃん,よろしく。」

「はい。」

 坂本は立ち上がった。

「山陰本線の急行『カシアス南丹』号は,現在でも我が管轄区内における優等列車群において,トップの乗車率を記録しています。」

「確かにそうなるよね〜,あれだけ白人形どものわがまま聞いてやったんだから,そりゃあたくさん乗ってくれるよね。」

 刃月はまたミルクティーを口にした。白人形とは,刃月が当初京都の舞妓に対する蔑称として使っていたが,そこから発展して京都人全体のことを指すようになった言葉である。

「それ以外は依然として乗車率は低下しております。やはり地方への観光輸送を強化するには,新車投入は必須ではないかと・・・・・・。」

「全く,関西人も頭狂ってるよね〜。やっぱり,播但線とかはホントに廃止した方がいいんじゃないの?」

 坂本は驚いた。

「そ,そんな!!じゃあ地方への国鉄による輸送形態はどうするんです?廃止される分だけ収益は減りますよ!」

「大丈夫だよ。主要幹線で何とか稼ぐから。全国的にも航空会社とかとうまく話を進めて行かないとね。」

「はあ・・・・・・。あと,『カシアス南丹』のグレードアップですが・・・・・・。」

「そうだね。あれは人気だよね。最近思ったんだよ,そんなに人気があるんだったらもうそろそろ新型の客車投入してもいいんじゃないかって。」

「そうですよ!それでこそ総裁様です!では早速,配置のご命令を。」

 坂本はすぐさまゴマをすった。すると,刃月はすぐさま吐き捨てた。

「これでもしぶしぶ言ってんだよ!分かってる?!」

「は,はい・・・・・・。」

 坂本はとうとう萎縮してしまった。

「ま,とりあえず『カシアス南丹』に関しては新車投入ってことで,決定だよ。車両は14系座席車と12系主体プラスキハ58系ってことで。それでいいよね?」

「はい,承知しました。」

 坂本は頭を下げた。

「但し,夜行の分は10系継続ってことでいいね?」

「は,はい。かしこまりました。」

 坂本は再び頭を下げ,席に着いた。

「じゃあ次,岸川君。」

「はい。」

 次は岸川の出番である。岸川は書類を右手に立ち上がった。

「我が管轄内の優等列車は,現在のところ特に大きな事故や事件は起こっておりません。」

「やっぱこうでなくちゃね。」

 刃月がひと安心したかと思いきや,岸川はさらに読み上げた。

「しかし,愛媛県側などから高松〜松山間の電化および『四国ループライン』号の系統分割による優等列車網の整理を要求する声が高まっています。」

 刃月はこれで期待を裏切られた。今まで四国の方から何かを要求されたことがなかったからだ。

「あ〜あ,四国のヤツらこのまま大人しくしてくれるかと思ったら今更そんなこと言ってきたのか〜。」

「我が四国における利用者たちも,いよいよ耐えかねている様子ですよ。」

「あ〜あ,信じてたのにな〜・・・・・・。」

 刃月にとってはよほどの裏切りだったに違いない。

「もうお仕置きだね。グリーン車料金を従来の10%値上げってことで,いいね?」

「いや,そんな・・・・・・!もし利用者が抗議してきたら,どうやって彼らに弁明すればいいんです?」

「弁明とかしなくていいんだよ!これはあたいの至上命令って,ただそれだけ伝えればいいんだよ!」

「それで大人しく従ってくればいいんですが・・・・・・。」

「従うに決まってるから言ってんだよ!」

刃月は拳を円卓に叩きつけ,更に威圧し始めた。

「あんたもいい年こいて,一般ピープルに振り回されてるようじゃあ,管轄の資格ゼロだからね。」

 刃月は立ち上がると,ミルクティーのパックを片手に円卓の周りをぶらぶらと歩き始めた。

「・・・・・・分かりました。」

「あとこれ以上ボイコットとかしたら料金割増プラス強制利用勧告を下すって言っといて。」

「はい・・・・・・。」

 刃月に威圧されて,岸川はもはや頭が上がらなかった。

「ほら次,畑君。」

 刃月はぶっきらぼうに吐き捨てた。畑は書類を片手に立ち上がった。

「岸川さんの例に同じく,我が領域で運行されている『西海ざんすの旅』や『南国ライナー』に関しても,系統分割による整理を求める声が上がっています。」

「九州も相変わらず欲張ってくるねぇ〜・・・・・・。」

 刃月は再びため息をついた。『西海ざんすの旅』とは,博多を出て久大本線,豊肥本線,肥薩線,吉都線経由で九州をジグザグに横断して鹿児島を結ぶ特急で,畑の1人娘である法子が考案したものである。

「特に使用車両の一部に通勤用のキハ35系を充当することに対して疑問と不満の声が高まっています。」

「別に何にも問題ないじゃん。自由席扱いしてるんだから,それで良くね?」

「とは言ってもキハ35系はロングシートですから・・・・・・。あのロングシートで何時間もの間に勾配を上り下りしたりするんですから,利用者にとっては厳しいはずですよ。」

「ふん,あんたも一般ピープルに振り回されてやんの?そんなんじゃあノリピーが泣いちゃうね。」

 刃月の口調は冷たかった。

「はあ……。」

「とは言っても,キレ熊襲(刃月が九州人に対して使う蔑称)も最近厄介になってきてるからな〜。」

「旧型客車による運用分に対しても,接客サービスが悪いと批判が集中しています。」

「だから?」

「だから……,一刻も早く新車を投入せよと……。」

 畑の声はだんだん小さくなっていった。

「やっぱ九州もか〜・・・・・・。」

「はい。それに,我が娘の声による熊本駅の案内放送にも不服の声が……。」

「あ〜あ,キレ熊襲にはノリピーの気持ちが分かんないのかね〜……。」

 刃月はぼやきだした。実は畑一族は代々熊本で生まれ育っているため,その縁で法子が熊本駅の案内放送を自ら収録したいと言い,使用されるようになったのである。

「何とも,言い方がなれなれしいという意見がありまして……。」

「どこが?それの何が問題なの?」

「ですから,普通の案内放送に戻せと……。」

 刃月は席に戻り,再び円卓の上で足を組んだ。

「ノリピーとあたいの考えが一致して実現したことなんだから,それでいいんだよ。言っとくけど,これは至上命令だからね!!

 刃月は途端に語気を強くした。

「は,はい!!」

 畑もまた,すっかり委縮してしまった。刃月は全員に向かって言った。

「ま,何がともあれ,一般ピープルの動きには今後も予断を許さないってことだね。」

「はい。」

 岸川は頷いた。

「今回も言ったけど,一部の優等列車には新車投入のため,金を『パクられる』ことになったけど……。分かったね?」

「はい。」

 坂本は頭を下げた。

「それ以外は現状維持ってことを忘れずに,しっかり伝えといてね。」

「はい。」

 全員が頭を下げた。

「じゃあ,今日は解散!」

 刃月がそう言うと,皆ハンカチで冷や汗をぬぐいながら席を立ち,会議室から出始めた。

 会議室の外で,佳武は岸川に話しかけた。

「ますますもって嫌な予感がしますな。」

「全くです。」

  岸川もどうやら刃月の身に何事か起ると感じていた。

 一日の仕事を人と通り終えると,刃月は森井が運転するベンツで私邸に帰る。帰ってから彼女には真っ先に話す相手がいる。刃月の父で時の内閣総理大臣・藤原虎賢である。藤原家一家は大金に次ぐ大金をむさぼり続けて今日のような日本でも指折りの大富豪にのし上がったのである。

 虎賢は茶色系のガウンを身にまとい,リビングで1人葉巻を吸っていた。

「ただいまー!」

「おお,お帰り,御苦労さん。」

「パパ,ちょっと聞いてよ〜。」

そういって刃月はハンドバッグをソファーに放り投げた。

「どうしたんだ,一体?」

「相も変わらず,アリどもってマジムカつくよね〜。」

「ああ,国鉄の労働者は随分と厄介だからな。」

「今朝だって何か知らないんだけど勝手にデモ行進してたしさ〜。」

「そうか……。最近は反乱行為が何かと激化してるし,今後ガードをもっと増やさねばなるまい。」

 虎賢がそういった次の瞬間である。

「お父さん!」

 2人の後ろから男の声がした。刃月の夫・藤原恭平である。大阪出身の35歳だ。

「ここはひとつ,労働者側の意見を受け入れた方がええんとちゃいますか。」

「何だね,君?いきなり何を……。」

「我々はもう既に有り余るほどの財力を手にしたことですし,そろそろ労働者たちの賃金を引き上げた方がええと思いますよ。」

「ふん。あのねぇ,誰が何を言おうと,ダメなものはダメなんだよ!しかもお前が口出しするようなことではない!」

 虎賢はすぐさま撥ねつけた。さらに後から刃月が援護射撃する。

「そうだよ!あんたは何の権力も握ってなんかいないんだから,アタイらに首突っ込まれちゃあ困るんだよ!」

「お前が機関区を管理しようものなら,すぐにアリどもに付け入られるぞ。」

「お父さん!我々の財力があれば労働者たちの賃金を増やせるんじゃないですか?そうすれば国鉄の経営も立ち行くんやと思いますよ!」

 刃月には信じられなかった。

「アタイらの生活なんてどうなってもいいってのかい?へぇ〜,非常識だね〜。」

「この期に及んでここまで口答えするとは・・・・・・!!」

 虎賢は怒りで両手を震わせた。

「いつまでも労働者が使い捨てのままでいいんですか?」

バカモノ!!

 虎賢はもう頭に来てしまった。

「お前は藤原家を滅ぼす気か!!」

「いや,そうじゃなくて・・・・・・!!」

 必死に弁明しようとする恭平だが,ここで刃月がたたみかけてきた。

「ああ,もういいもういい,分かったよ!!これ以上アタイらに口出しするようだったら,さっさとこの家から出てん行くんだね!!」

「そうだ!お前は国鉄の汚点だ!!さっさと出て行け!!

 2人は恭平をリビングから強制的に押し出した。恭平は廊下に転んだまま,2人に対する怒りが自分の中にふつふつと湧いてくるのを感じた。

「何やねんあいつら。金の亡者になんかになりよって・・・・・・!」

 恭平はもう耐えられなかった。こうなったからには,2人とはもう縁を切り,労働者たちを率いて立ち上がる他に道はない。そうでもしなければ国鉄は変わらない。恭平は強く感じていた。自分が大変革を起こすしかないのだと。

 恭平はガレージに行き,愛用の古びた白い軽自動車に乗り込んだ。持つべきものは全て後部座席に積み込み,キーを回してエンジンをかけた。

「冗談やあれへんて,全く!!」

 恭平は涙声で必死に噛みしめ,アクセルを踏んだ。

第2章に続く

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