2012年3月8日〜10日
 
ありがとう! 寝台特急「日本海」にお別れ乗車
 
 とうとう今年の3月のダイヤ改正,国鉄の生き証人がまたこの世を去って行く……。寝台特急「日本海」と急行「きたぐに」が,定期運用から引退することが決まったのだ。日本海縦貫路線の両雄が記憶の彼方に旅立つのを一目見るべく,その姿を追った。
 
 夜の9時過ぎに家を出て,1時間ほどで大阪に到着。すでに大阪駅11番乗り場には多くのファンたちが駆けつけていた。
 
 (※はスマホでの撮影,#は動画からのキャプチャーです。)
 

※23時過ぎ,583系急行「きたぐに」が堂々の入線。

廃止間際の利用が多いのか,12両という長大編成となっていた。

※10番乗り場からのカット。

この日は偶然にも潟rコムのスタッフにも遭遇した。

#そして23時27分,急行「きたぐに」は,終点新潟へと旅立つ。

「きたぐに」は「日本海」と共に,ダイヤ改正後は臨時に格下げとなる。

日付は変わって3月9日の午前0時半,寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」で東京へと向かう。

少しでも旅費を浮かすべく,寝台ではなくノビノビ座席に乗車。

しかし,硬くて床暖房のあるカーペットで,列車の揺れも相俟ってなかなか寝付けなかった。

朝の7時過ぎ,「サンライズ瀬戸・出雲」は無事東京駅に到着した。

東京に降り立つのは,「富士」「はやぶさ」撮影以来およそ3年ぶり。

ブルートレインのいない東京はとにかく寂しかった。

 東京からは新幹線「はやて」で八戸まで移動。到着後はしばし八戸市内を散策,震災のせいか,ここも閑散としていた(今回の旅は国鉄型中心なので,写真はありませんw)。

八戸線のキハ40系普通列車。

ここ八戸は,いわて銀河鉄道(IGR)とJRのつながる場所である。

今ではなかなか見られないサボ。

この時はまだ八戸線が全線復旧していなかったため,鮫行きとなっている。

こちらも今では数少なくなった原型エンジン,DMF15HSA。

今は亡きキハ181系に近い,ガリガリという音が特徴的である。

上の普通列車を反対側から見る。

ちなみに八戸線のキハ40系はほぼ全車が非冷房である。

JR八戸線の電光掲示板。

右側にはIGRの電車が見える。

次の列車が来るまでに,新幹線ホームで時間つぶし。

やって来たのは念願のE5系「はやて」32号!

新鋭はあまりにも美しかった……。

夕方になってまさかの「赤鬼」が入線!

3両編成で鮫方面へと向かった。

※新青森で日本海に乗り継ぐべく,下り「はやて」31号に乗車。

車内で「八戸小唄寿司」で晩飯。

新青森に到着後,待ち合わせに少々撮り鉄。

メインイベント「日本海」大阪行きの電光掲示板。

電光掲示板のみならず,このような釣り下げ札も存在。

右の「あけぼの」も,数少なくなったブルートレインの一つである。そして……。

# キターーーーーーっ!!!

ブルートレイン乗車は長崎旅行以来13年ぶり!

興奮するがままにかぶりつきをGET!

「日本海」は全車が開放式寝台車である。

そして客車後ろ寄りの洗面台の向かいにはこのような冷水機も。

今回乗車したのは2号車のオハネ25-152。

客車は金帯で,後の調べで「出雲」「あさかぜ」1・4号での運用実績を知った。

今回の寝床は上段の寝台。

下段は早くに満員御礼。廃止間際だけに「冗談(上段)」じゃない!w

夜9時過ぎに,ジョイント音を子守歌に就寝。

日付は変わって10日,6時過ぎに目が覚めた。

起きて最初の停車駅は金沢であった。

寝台車のデッキから。

ここは列車の鼓動を直に楽しむことが出来る。

北陸地方は3月でも雪が厳しい。

その光景は眩しいまでに視界に飛び込んで来た。

8時2分,敦賀到着。

ここで,鉄ヲタにはたまらない「儀式」,機関車交換の撮影にかかる。

前夜から奥羽路を駆けて来たEF81-106から敦賀区の101に交換。

ここからいよいよ,終点大阪を目指す。

※廃止が近いだけに,車内では色々なサービスが行われていた。

朝飯の「日本海」特製ジャケットの「ますのすし」。

列車は敦賀を出てから湖西線を経由する。

この日も滋賀の山々は綺麗だった。

朝日を浴びて輝く琵琶湖の水面。

滋賀県民として爽快の瞬間である。

「日本海」の洗面台。

これもまた国鉄型ならではの味が出ている。

通路の壁に格納されている簡易シート。

古の旅人はここに腰掛け,車窓に何を見たのだろうか……。

乗車の証,「日本海」の寝台券。

9時51分,「日本海」は京都に無事到着。7番乗り場から見送ってから帰宅。

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